unlimited blue text archive

想像力が獲得したもの(第1段)

作成年月日
2005年10月04日 09:19

これは以前書いた「想像力の責任」と対になる事なのだが、今回バガボンド(講談社 井上雄彦著)の20巻21巻を読んで感じたことを書こうと思う。原作(吉川英治 「宮本武蔵」)未読の為、どこからが漫画家:井上雄彦の功績なのか判断つかないが、漫画というフィールドでこの境地を描く事に成功しているのは間違いなく井上雄彦のたゆまぬ研鑽の結果だと思われるので、ここでは原作については言及しない。

漫画において戦いを描くという事は、「勝った方が何故勝ったのか」という事の説得力とセットでなければならない。 オーソドックスな所では

  1. 気合が上回っていた(ちょっと勝てそうも無い相手でも仲間が目の前で殺されたりすると、怒りで普段以上の力が出る様なケース)
  2. 潜在能力が上回っていた(実は魔族の生まれ変わりだったというようなケース)
  3. 知恵が勝っていた(相手の弱点を見抜いたり、騙したり、罠を張ったりと戦術的に勝利をものにするケース)
  4. いっぱい練習してきた

と、簡単に思い出せるものでもこれくらいのバリエーションがあり、それらは読者に「あぁ、なるほど、そりゃあこっちが勝つわ」と納得させる為の理由付けである。 ここで納得させられなければ「ご都合主義」というそしりは免れないくらいに大事な所だ。

読者に現時点での主人公と敵との力関係を提示し、敵の方が強い場合は「いったいどうするのだろう、このままでは負けてしまう」と思わせなくてはならない。 そしてそれを逆転できる理由が思いもよらなかった物で、なおかつ確かな説得力がある場合に、読者に「面白い」と思って貰えるのである。

そしてバガボンドも前半は間違いなくそのロジックを用いていた。宝蔵院胤舜との戦いにおいてそれは顕著で、何故武蔵が負け、そしてその後何故勝てたのかを、胤栄による手ほどきまで挟んでしっかりと描いている。 メンタルの手綱を手放さなかった武蔵が勝つくだりが確かな説得力をもって読者に提示される見ごたえのある部分だ。それは先に示したように、これまでも散々使われてきたオーソドックスな戦いの描写であるとも言えるが、 それに文句を言うつもりなど当時はさらさら無かった。 文句無く面白かったのだ。 この20巻、21巻を読むまでは。

20巻で聾唖の剣士佐々木小次郎は、落ち武者狩りに狂う農民を退けた後、本当の落ち武者たちとまみえる事になる。 ここで描かれる「巨雲」との斬り合いで、井上雄彦は勝利のロジックを手放してしまった。交通事故のような邂逅だったために「どちらが勝ちそうなのか」という前提を省いたのは考えられる選択肢のひとつとしても、「なぜこっちが勝ったのか」という具体的な説明すら何一つないまま終わってしまうのだ。しかし不自然な感じは欠けらも無い。

作者より先に、登場人物がロジックを放棄したからである。

続く