死者10万人以上を出した「スマトラ沖地震に拠る津波」。被害地に世界的なリゾート地が含まれていた事もあり、津波の映像が事件直後から次々とテレビに映されたが、あなたは「低い!」と思わなかっただろうか。「コレが津波?」と。正直自分ははっきりそう口にした。「何でコレでこんな数の死者が出るんだ?」と。あんな波、能登半島ならしょっちゅう見られるぞ、と不思議に思ったのだが、実際現場に居た人たちが映したビデオでも、沖に砕ける白波を見て慌てて逃げ出す人はあまり見受けられず、殆どの人が大きな波を認知しながらも、それを危険なものとは認識していない様子だった。もし自分がその場に居合わせたとしても、あれを津波とは看破出来なかっただろう。
自分にとっての津波とは、そびえるよりビルよりもなお高い波が水平線の彼方から迫ってくるものだ。あの場に居た人たちも含め、世界中の殆どの人の津波のイメージとは、そういうものだったのではないだろうか。(おまえが無知なだけだと言われればそれまでだが)
その津波のイメージの源は、自分にとっては「未来少年コナン」だ。ハイハーバーを襲う大津波のビジュアルを子供の頃に観て「津波って凄いなぁ」と思った。他のフィクション(ハリウッドで一時立て続けに作られた天変地異物など)でも津波と言えばあんな感じで描かれているのではないだろうか。今回のような津波を実際に経験した人は少なく、そのイメージをフィクションによる他無い人たちはきっと多かったに違いない。
後日NHKの特集で津波の本当の姿が解説され、そのプロセス、普通の波との違いが科学的に説明されると、自分の中の津波のイメージは修正される。なるほど、コレが津波か、と。今の自分があの場にいれば、とりあえず逃げ出すだろう。他の人たちもきっと逃げ出すに違いない。
だからこそ、恥ずかしくなる。物書きとして、もし自分があの日以前に作品で「津波」を描いていたら、やっぱり今まで通りの「ビルより高いただの大波」を描いたと思うから。「物を描く時はやっぱりちゃんと調べなきゃダメだな」と自分を戒めた。そこで「うん。」と言える妻が隣にいる事に救われる。