概論
祐巳の本質とはつまり、公平性である。その事が作中で明快に描写され、また自身もその事を意識して考えるようになるのが次期生徒会役員選挙だった。選挙とは”公”の部分が試される機会であり、これまで正式な生徒会役員ではなかった福沢祐巳が、その資格を自らに問う審判の日でもある。その問いに祐巳がどう答えたのか、また彼女の資質がこれまでの行動にどう関わっていたのかを詳らかにする。
各論
異端
ここまで祐巳の事を生徒会のメンバーの様に書いて来たが、正確には彼女は生徒会の人間ではない。この学校で正式に生徒会の人員と呼ばれているのは薔薇さまと呼ばれる3名だけで、この時点では小笠原祥子、支倉令、藤堂志摩子がそれに当たる。祐巳も島津由乃もお姉さまが薔薇さまなのでそのお手伝いをしている、という立場であり、彼女達が正式に次の薔薇さまになる為には選挙で信を問わなければならないのである。
例年通りなら持ち上がりに対する信任投票ですんなり祐巳も由乃も現役の志摩子と並んで次の薔薇さまに納まる予定だったが、去年に続いて今年も一般生徒から立候補者が出た為に、3人の内誰かが落ちる可能性が出てきた。この状況下での福沢祐巳、島津由乃、藤堂志摩子3名の心情の違いが、祐巳の本質を鮮やかに浮かび上がらせる。
島津由乃は焦っていた。もし3人の内で誰かが落ちる様な事があればそれは結構な確率で自分であると覚悟していたようだ。祐巳さんは下級生に絶大な人気があり、志摩子さんは今年度ちゃんと薔薇さまを務め、来期は2年目という実績がある。間違いが起きるとしたら自分。それだけは絶対に阻止しなければならない。畜生あの野郎、目に物見せてくれるわ。という感じだろうか。彼女はいつでも自分に正直である。
「正義とか正義じゃないとか、そんなこと言っているんじゃないわよ。私は、ただ大好きな仲間たちと離れたくないだけなの。ええ、言いたいことはわかるわよ。確かに私は自己中心的でしょうよ。」
【「仮面のアクトレス」:島津由乃】
一方2年目の挑戦となる藤堂志摩子は、立候補の意思について選挙前にこう語っている。
「もし、どうしても生徒会長になりたい生徒がいたなら、考えてもいいわ」
「私は一度経験したし」
【「仮面のアクトレス」:藤堂志摩子】
一見対照的だが、実はこの二人はまったく同じ事を言っている。この時祐巳だけが別の事を考えていた。自分が立候補を取り下げさえすれば残りの3人が順当に生徒会長に信任されて丸く収まるのだろうか、その事を考えに考えて、最終的に立候補を取り下げない事を選んだ。その理由を尋ねる志摩子に対しての答えがこれだ。
「私は瞳子ちゃんのことばかり思い悩んでいたけれど、応援してくれている人たちがいるんだってことも忘れちゃいけなかったんだよね。一度立候補したからには、途中で下りちゃいけない。そんなことしたら、みんなガッカリするよ。」
【「仮面のアクトレス」:福沢祐巳】
語るまでもなく、祐巳だけが生徒みんなの事を考えていたのである。
一貫した公平性
島津由乃は我侭だが情に厚く、身内のピンチには損得考えずに手を差し伸べようとする。彼女の優先順位は「自分>身内>他人」である。一方藤堂志摩子は妹が出来てから若干緩和されて来たものの、他人に迷惑をかけるくらいなら、我が身を差し出そうとする。優先順位は「他人>身内>自分」である。その辺が前述の選挙時の対応に良く現れている。どちらも「どうするのが全体にとって一番良いのか」という視点が欠けている。
由乃は自分が生徒会長に相応しいかどうかを気にしていない。自身の望みを叶える為に当選したいと願っているのに対し、志摩子も自身が生徒会長に相応しいかどうかを気にしない。自分が身を引く事が、生徒達にとって損失になるかもしれないとは考えないのである。
一方、祐巳は常に全体の幸福というか、バランスを考えてきた。誰か一人が不当に損をする事をよしとせず、どうしても誰かが犠牲にならなければならない時は、一番ダメージが少ない者にそれを振り分けようとし、その相手は自分だろうが身内だろうが、あるいは他人だろうがまったく頓着しない。第一巻で祥子が祐巳を妹に出来たら嫌な劇の主役から降りてもいいという条件を出された時、勿論祐巳は大好きな人にそんな打算で受け入れられるくらいなら他人のままの方が良い、と考えていたのだが、それは要するに「祥子が劇に出る事で祥子が被るダメージ」と「自分が妹になる事で自分が被るダメージ」を秤にかけて、自分の方がダメージが大きいと判断した為にロザリオを受け取らなかったのである。
例え相手が憧れの小笠原祥子さまであろうと、ダメージの少ない方にダメージを負わせる。そして祥子と柏木優の事情を聞かされた後では天秤の傾きは変わり、なるほど、それなら祥子さまの方がダメージが大きいと判断して、ロザリオを要求したのである。
この傾向は振り返ってみればあちこちに見られる。1年次のバレンタインイベントの時、宝探しの勝者がお姉さまとデート出来るという特典が用意されていると聞いた時、勿論由乃は猛反対していたのだが、祐巳は「お姉さまが他の誰かとデートするのは嫌だなぁ」と思いつつも
山百合会をお手伝いしている立場の人間として意見を求められたらどうだろう。(中略)次の薔薇さまになる現つぼみが一般生徒と親しく交流する機会が設けられるとしたら、それは山百合会にとってプラスに働くことではないだろうか。
【「ウァレンティーヌスの贈り物(前編)」】
なんて事をこっそり考えていたのである。
「パラソルをさして」で松平瞳子を身近に置くことにしたのも、「レディ、GO!」で細川可南子に賭けを持ちかけたのも自身にとってはあまり割のいい作戦ではなかったのに、彼女はそっちを選択してしまう。他所様の別荘で一人心を閉ざしている老婆の為に、笑い者になる事を恐れずに歌を歌う。合否に関わらず参加した全員にメリットが生まれるように、妹オーディションのルールを設定する。そして、自分が生徒会長に相応しいと信じたならば、自分が今一番心配し気に掛けている下級生を蹴落とす事も厭わず、立会い演説会の壇上に立つのである。最終的に全体のダメージが一番少なく、全体の幸福に一番近い所に行き着くように、彼女はどうしようもなく設定されているのである。
次期生徒会役員選挙の説明会の後、由乃の姉である支倉令がこんな事を言っていた。
「志摩子と由乃は静と動だからちょうどいい。生徒会は、突っ走りすぎても動かなくなっても困るからね。そして、そこに祐巳ちゃんの緩衝材だ。順当にいったなら、いい薔薇さま三人組になるだろうけれど」
【「仮面のアクトレス」】
完全に見誤っている。積極性の問題ではなく、身内の利を取ろうとする由乃と、身内を犠牲にしようとする志摩子の中にあって、祐巳だけが全体を見渡し、公平に物事を進められるのである。ここに到り物語序盤に見られた周囲からの評価のピラミッドは完全に逆転した。昔の祐巳を知っている身近な人物ほどそのイメージに引っ張られ、今年入学してきた1年生の方が正しく祐巳を評価していたのである。
次期生徒会役員選挙が終わったその日。じわりじわりと積み重ねた内面の成長と周りの評価が目に見える形で同時に顕現した瞬間、そこに立っていたのが”落ち着きの無い愛嬌のある女の子”ではなく、誰もが慕い、頼りにする紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)だったのは当然過ぎるほど当然の結果である。
まとめ
福沢祐巳の本質が目に見える形で現れて来るのはこの次期生徒会役員選挙ではあるのだが、その行動原理は第一巻から一貫して描かれており、ここに到るまで誰の口からもその事を語らせなかった作者の我慢強さには感心する。また要領良く世渡りしようとする由乃と自己犠牲精神に溢れた藤堂志摩子という、祐巳を中心に両極に振れた二人を同期に配置する周到さにも目を見張る。事ここに到り、「マリア様がみてる」は「公平な人間が何を手に入れるか」という物語であった事を吐露したのである。