概論
巻で言うと「子羊たちの休暇」からしばらくは、祐巳の快進撃が続く。祥子のコントロールは好調過ぎて、その事が後にちょっとした棘になってしまうのだが、それはともかく身内に敵はなく、外部の敵を次々と殲滅させていくエピソードが続く。この章では祥子の信頼を得た祐巳が如何にして敵を放逐してきたかを、彼女のバリアブルな戦術と併せて紹介する。
各論
姉妹の完成
誰がイニシアチブを取るべきなのかを知った紅薔薇姉妹には、これ以降一切の危機は訪れない。依然として祐巳は祥子を尊敬し、祥子は祐巳を可愛がっているのだが、実際には祐巳が祥子をコントロールし、祥子が祐巳に安心して自分を託している様子が、「パラソルをさして」の次巻冒頭で鮮やかに描かれる。
「いけない、なんて言っていないでしょう?ただ、今すぐというのはどうかしら、って相談しているだけよ」
「嘘。お姉さまは今、はっきり『行かないわよ』っておっしゃいました」
「あげ足を取るのはおやめなさい。本当に、最近反抗的なんだから。すぐには行かないわよ、って言おうとして、『すぐに』を省略してしまっただけなのに大げさな」
「大げさですって?だったら、もっと注意深くお言葉を選んでくださらないと。お姉さまの一言一言が、小心者の私の心には、グッサグッサ堪えるんです」
【「子羊たちの休暇」】
微笑ましくも痛快なやり取りをこなし、しかもその直後にお姉さまの微かな動作から紅茶のお替りを絶妙のタイミングで用意すると言う念の入れようで「よくわかったわね」
と感嘆の声を漏らす祥子に「そりゃあ」妹ですから。
と応える余裕は大した物だ。洞察力はあるのに持って回った考え方が出来ない祥子に対して、常に物事をクリアにする様に心がけ、自身の不満は溜めないように。祥子の癇癪は小出しにさせるように。そして気持ちよく過ごして貰う為の配慮も怠らず、と、二人が幸せになる為のやり方を完璧にモノにしているのである。
ここに到って祐巳側から見た祥子との姉妹関係は既に完成を迎えている。逆に祥子の方は祐巳に甘えっぱなしの現状を潔く認め、そこから更に一段高い所へ登ろうとし始めている時期だ。今のままでも心地よい事この上ないが、それでは向上はないと自覚し、かと言って無駄に反発したりしない所はさすがである。祐巳が背後に杞憂を抱える事無く、自身の思うがままに大鉈を振るえるのは、祐巳が祥子を安定させ、安定した祥子がまた祐巳を安心させるという幸福のスパイラルを手に入れたおかげでもある。
戦術の幅広さ
祥子との関係を磐石にした途端、祐巳の周りには様々な敵が湧くようになる。これまではそうそう過激な人間は登場せず、出ても祐巳と直接関係の無い所でトラブルを起こしていたのに、この巻以降登場する敵対勢力は、勘弁してくれと思うものから微笑ましい者まで、全て祐巳自身をターゲットにしてくるのだ。
- 別荘地に巣食う高飛車で意地悪なお嬢様たち
- 鬱屈した怒りの為ふさぎ込んだ老婆
- ストーカー細川可南子
- 花寺学院営利誘拐部
- 横恋慕部長高城典
- そしてラスボス松平瞳子
別荘地での一件は祥子の援護があったものの、戦闘自体は祐巳の独断で開始された。その時側にいた祥子も柏木優も”撤退”を進言したのであるが、それを却下して勝利をモノにしたのは祐巳の意思によるものである。また、ストーカーだった細川可南子の証拠を押さえ、逆切れして無視を決め込む相手をむりやりこちらのペースに引きずり込んだ手腕も見事だった。その際祐巳が選択したのは”「私は上級生、あなたは下級生大作戦」”という戦術だが、背伸びした演技とは言えなかなか堂に入っている。
「話をしたいんだけれど」
「私には話すことなどありませんが」
「あなたにはなくても、私にはあるの。聞いてくれるわね」
【「レディ、GO!」:対 細川可南子】
松平瞳子を手伝いに引き込んだときと同様、祐巳が誠意や善意だけに頼らず、事態を良くする為ならばどんな振る舞いでもやって見せるという事を雄弁に語るシーンだ。この時は馴れない物言いで緊張していたのだが、この先祐巳は時と場合により、躊躇なくキツイ話し方をする様になる。
三メートルほど隔たった頃、忘れ物のように「瞳子ちゃん」と振り返った。
「その場で百数えなさい」
【「大きな扉 小さな鍵」:対 松平瞳子】
「嘘でこんな話しないわよ」
【「薔薇の花かんむり」:対 高城典】
慌て者で表情がクルクル回ると言われてお姉さま達に可愛がられていた少女は、立場と経験に促されこんなにも威圧的に、或いは冷静沈着に、自らを攻撃してくる相手に毅然と立ち向かえる様になったのである。高城典に言い放った「嘘でこんな話しないわよ」
は、普段なら「嘘でこんな話しないよ」と言っている所だが、負ける訳にはいかない戦闘で、自然にか意図的にか相手に付け込まれないよう語尾を選択している所が徹底している。
別荘地のお嬢様方に対した時は柳に風と受け流し、老婆と相対した時は真摯に相手の事を思い、細川可南子に対しては囮捜査や高圧的な態度やフレンドリーな態度を織り交ぜ、花寺学院では機転を利かせ、高城典に対しては真正面から切って捨てた。時と相手により対処方法を変える柔軟性と引き出しの多さが祐巳の武器である。それを殆ど悩まずに、自然と最善の戦術を選び取るのだから脱帽する他ない。
まとめ
この時期の福沢祐巳は本当に向かう所敵なしの状態であった。あらゆるトラブルに柔軟に対処し、その全てを自身の望みどおりの結果に導いている。また、この頃「一年生の間では祐巳さまが一番人気だ」という風評が漏れ聞こえてくるようになる。祐巳自身はその理由を「庶民的で親しみやすいからだろう」と分析しているが、それは(一部ではたしかにそこが評価されているのだが)間違っている。庶民的なのも親しみやすいのも祐巳の性質だが本質ではなく、そもそも祐巳は1年生の前で松平瞳子と口喧嘩をしたり、細川可南子に呼び出しを掛けたりしているという、怖い怖い上級生なのである。では、ここで紹介した祐巳の千変万化の対処能力が評価されているのかというと、それも違う。それはただの手段であって祐巳の本質ではない。
祐巳の本質は目には見えにくく、またそれは飛び抜けた才能では有るがこの時点では1点の瑕疵があった。そこが補強され完全なものになるには幾つかの修羅場を越える必要があったのだが、そこは後回しにして時間を次期生徒会役員選挙まで進めてみようと思う。そこで祐巳の本質がついに明かされるのである。