概論
この章では物語序盤に福沢祐巳に与えられたパーソナルデータを検討すると共に、後の成長を示唆する幾つかの伏線に注目してみようと思う。何の取り得もない、と断じられた主人公に不似合いな程、一部の人間から期待されている状況、そして祐巳に対する洞察力と評価値が綺麗に正比例である理由を考察する。
各論
平均からのスタート
福沢祐巳は彼女自身の事を、勉強も身長も体重も容姿も、すべてにおいて平均点
と評しており、それは彼女をとりまく外野も同じ感想だったようである。このフレーズは語る者を変えながら全編を通して繰り返し出てくる。生徒会の他の連中が(島津由乃を除いて)勉強や容姿や運動において傑出した才能を2つも3つも兼ね備えているような人間ばかりなので、みんなの足を引っ張らないように頑張らなきゃ、という立ち位置である。
また、”愛嬌がある””表情が豊かで考えている事がすぐに顔に出る””驚いたときのリアクションが面白い””天然ボケ”という、(あまり本人にとっては誇らしくない)チャームポイントについても”平均点”同様繰り返し指摘される。これらは、祐巳が主体性を持って事態をコントロール出来ない事に対する対処とも言え、このキャラクターであるが故に大して役に立たなくても主に上級生に可愛がられ、事件の渦中に顔を出す事が出来るのである。実際他のメンバーの顔見せも兼ねて色々な事件が祐巳の周りで起きるが、それらを解決するのは祐巳ではなく、当事者やその理解者達だったりするのだ。主だった事件とその解決に一番貢献した人間を挙げてみると
- 生徒会出し物の主役交代騒動
- 祥子が腹を決めて決着
- 黄薔薇姉妹破局
- 首謀者である島津由乃が自力で事態を収拾
- 佐藤聖小説執筆疑惑
- 編集部まで乗り込んだ島津由乃の行動力と、小説の作者の自白で解決
- 藤堂志摩子出馬問題
- 志摩子自身が腹を決めて解決
- 鳥居江利子援助交際疑惑
- ただの誤解で解決する必要すら無かった
大きな事件だけでもこんな感じである。勿論祥子が劇の主役を引き受ける決心をしたのは祐巳の慰めが効いている訳だし、他の事件でも励ましたり相談したりされたり巻き込まれたりと、いろいろ忙しく立ち回ってはいるのだが、結局のところ全て出たトコ勝負で、解決への筋道を見通す事は一度たりとも無かったのである。恐らくこの時期に祐巳がコントロールした成果で一番華々しい物は、3年生を送り出す会において”安来節”で見込み通りの笑いをとった事だろう。
小笠原祥子に対しての影響力
事態を収拾する能力はまだ備わっていない祐巳だが、別のベクトルでの適正は随分早い内に作中で示唆される。ただ一点、”小笠原祥子の妹としては、これ以上の適任者はいない”という事を、周りの人間が事ある毎に口にするのだ。
「ウマがあいそうじゃない?あなたと祥子さま」
【「マリア様がみてる」:武嶋蔦子】
「もしかしたら、祐巳さんは祥子さまと合うかもしれないわね」
【「マリア様がみてる」:藤堂志摩子】
「祐巳さんは祥子さんがいなくてもそれなりの学園生活を送れたとは思うけれど、祥子さんにとっては祐巳さんが側にいるかいないかで学園生活の充実度合いが違うと思うもの」
【「ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」:蟹名静】
あまりスペックは高くないけど、特定の高スペックの人間に対して多大な影響力を行使出来る、という設定は甘美だが、祐巳がその適正を披露する場面はそう多くない。序盤において祐巳と祥子の関係はまだまだ手探りで、ただお姉さまが好きだからお役に立ちたい、一緒にいたいと願う余り気配りが一周して怒られる事が良くあった。ただ、祐巳が当面お味噌のままでは読者が期待感を持てないのでこの適正に関しては早めに公式の物として披露したかったのだと思われる。
水面下での期待値
この段階で明かされた祐巳への評価は、祐巳からの距離によって幾つかの系統に分かれる。ゼロ距離である祐巳と、逆にそこから遠いエリアの評価は”これと言って取り得がない”という捉え方である。
次のエリアは、近くで祐巳を見ていて、なおかつ祐巳と親しくしている人間。ここでの評価は主に”見ていて楽しい””素直でまっすぐ”と言った、祐巳のパーソナリティに好意を持っている場合が多い。
また、同じ位のエリアでも目上の人間、格上の人間は、それらの要素にプラスして”小笠原祥子にとって、とても重要な存在”という視点で評価している。表にするとこんな感じである。
グループ | サンプル | 祐巳への評価 |
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本人・遠距離 |
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近距離(同格) |
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近距離(格上) |
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エリアを分けている”距離”の概念は、そのまま祐巳に対する洞察力の多寡であり、更には祐巳に対する評価の数値とも一致する。自身の事が良く分かっていない本人と外野では低く、下に行くほど高い。一番下のエリアからは、こんなセリフまで出てくる。
「たとえば、祐巳さんなんか興味深いわね」
「ああ、祐巳さん」
【「ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」:蟹名静・藤堂志摩子】
彼女は最近稀なる掘り出し物。
【「ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」:水野蓉子】
祐巳さんは私にない物をもっている。祥子さんは確かに人を見る目があったのだ
【「ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」:鵜沢美冬】
といった具合である。これらが福沢祐巳の何に対しての評価だったのかを当人達が言及する事は最後まで無かったのだが、時々不意打ちの様に繰り出される”福沢祐巳に対する期待値の高さ”は、嫌が応にも読み手の興味を惹いた事だろう。生徒会の中で控えの様な立ち位置の主人公が、この先どんな風にその才能を開花させるのだろうか、と。裏を返せば、それは作者から読者に宛てた宣戦布告である。今はまだ不当な評価に甘んじているが、この福沢祐巳はその程度の人物ではないんだぞ、と言っているのだ。
まとめ
物語序盤で設定された福沢祐巳という人物は、一見オーソドックスな少女漫画のヒロインの類型と一致する。クラスでは目立たない主人公がふとしたきっかけで全校女子の憧れの男子と急接近し、しかも潜在的に向こうの方が主人公にメロメロという話は、それこそ枚挙に暇がない。小笠原祥子に対する優位性を周りの人間が認めている事が、その事をさらに印象付ける役割を果たしているが、物語のそこここで「この主人公はそれだけではすまないのではないか」と思わせる記述がある事に驚く。
福沢祐巳の最終形態を作者である今野緒雪がどの時点で決めていたのかは分からないが、少なくとも「マリア様がみてる」をただの恋愛話にする気だけは、最初からなかったのだろう。