劇場版なのに「星を継ぐ者」にはオープニングがある、という事は前情報で知っていた。その事実を知った時には漠然と「テレビのOPをGacktの歌に差し替えて流すのか、そりゃあ大胆だな」と思ったものだが、そうではなかった。画面は漆黒の闇から色鮮やかなガスを抜け、やがてまばゆい星空を映し出す。
SF映画としては順当なファーストカットであり、自身の作品を一般の人間にも観て欲しいと願う富野氏らしい、手堅い導入だと納得しかけたその時、カメラは宇宙空間の中に浮かぶ土星の雄姿を捉え、その脇を抜けて更に進んでいく。そして木星、アステロイドベルト、火星といった太陽系内周部の天体の脇をパスしていくにつれて、このカメラが地球を目指して進んでいる事に気付く。ここで予感は確信に変わる。「コイツは天才だ」、と。
何かに騙されて劇場に足を運んでしまったZガンダムを観た事の無い人にはあまり意味をもたらさないが、テレビシリーズ、更にその後の「ZZガンダム」まで観てしまった人間にとって、この空域の持つ意味は大きい。木星付近からはシロッコが辿った道、アステロイドベルトからはアクシズが辿った道を、その途方も無い道のりの長さを(もちろん実際の距離よりは縮めて)カメラは再現しているのである。
モンタージュ技法によりカメラの視点が切り替わる通常の表現手段では、登場人物たちの住む世界を空間的に把握させる事が出来ない。これは何もSF映画に限った事ではない。あなたがこれまで見たアニメや映画の中には、主人公が住む家から彼の通う学校までの距離を「実感を伴って」把握出来た作品は一つも無いはずだ。
- 主人公が家を出るシーン
- 途中の道で女の子にぶつかるシーン
- 校門で仲のいい友達と朝の挨拶を交わすシーン
この3シーンを繋げば主人公に何が起きたかを最小限の手間で描き出す事が出来るが、そこには空間がない。
この「Zガンダム」という物語を始めるにあたって、富野氏は今からここで起こる事に関わる舞台を、確かな距離感と共に提示して見せたのである。昔は出来なかった事が20年という歳月を経て、CGという技術の助けを借りて成功している。
このカットは途中のどこか1箇所でもカメラが切り替わっては意味を成さない。シロッコがどんな所からやってきたのか、ハマーン達がどんな寂しい場所に隠れ住んでいたのか、そしてこれは歴史から消えかねないが、ジュドーという少年が最後に向かった新天地が、どんなに遠く離れた場所だったのか。やがて現れるキャラクター達のバックボーンに、この「地球からの距離」というのは密接に関わって来る。テレビシリーズではその距離を描けなかった為に、彼らの特異性や執念というものが説得力を持たなかったが、このファーストカットを踏まえてみれば、彼らの行動原理が心底腑に落ちるのである。
長い旅路も終わりに差し掛かり、1年戦争の犠牲者と思われるジオン兵の遺骸をすり抜けた後、ついにカメラはタイトルロゴと共に美しい地球の全景を映し出す。そしてモビルスーツの機動音と共に地球が左上に消え、続けて星空が右上に流れたと思ったらそこはもう、20年前に作画されたリックディアスのモニター越しの星空だったのである。この瞬間思わず「上手い!」と叫びそうになった。地球までの長い距離と20年という長い時間を、たった1カットで繋いでしまったのだ。歴史に遺してもいい位の完璧なオープニングである。
くどいようだが、これを星間距離が登場人物の心理形成に関わらない「スターウォーズ」のオープニングでやっても意味がない。「Zガンダム」だから意味があるのであり、また「Zガンダム」ならこれしかない、というオープニングなのだ。
ガンダム世界において意味のある天体は木星までで、その先の土星からカメラがスタートしているのがよく分からないが、最初にガスを抜けている所を見ると、厳密には土星の衛星タイタンがカメラの出発点だと思われる。敵対組織である「ティターンズ」にかけているのか、それともこの3部作が終わった時に何か意味を持つのかは分からないが、なんにせよ、旅は始まったばかりであり、素晴らしく出来の良い導入に気を良くしながら、このレビューもまだまだ続くのである。