終わりに寄せて
そういう訳で、自身の公平性を完璧なものにし、ラスボスである松平瞳子を妹に迎えた福沢祐巳は、リリアン女学園高等部においてその性能を完全に発揮出来るようになった。「クリスクロス」以降の巻は完全に消化試合であり、それも最終巻「ハロー グッバイ」で終わりを迎える。全方位磐石となった福沢祐巳にはもう困る事は起きないし、何かあったとしても祐巳は間違いなくそれを処理出来るので「福沢祐巳の物語」はこれ以上書きようもないのである。
あと残っているとしたら柏木優との決着だけであるが、それは祐巳がもう少し大人になってから(少なくとも社会に出て働くようになってからでないと)柏木優の方も困るだろうから、個人的にはとても読んでみたいのだが「マリア様がみてる」の中に押し込める話にはならないであろう。
今回は祐巳の公平性について書きまくったが、「マリア様がみてる」自体はそれだけで語り尽せる話ではない。時間と労力が許すなら
- 心臓を手術して健康になった由乃が体育祭で元気に走る姿を見て祐巳が涙を流したり
- 瞳子が祐巳を振ったと聞いて思わず叫んでしまう由乃の目尻に涙が光っていたり
- 3人で”呼び捨て”を試して恥ずかしさに悶絶したり
- 由乃や祐巳の力になりたいと思っていた志摩子が逆に気を遣われて笑いが止まらなくなったり
そういう沢山の名場面やささやかな部分について延々語り続けたり、場合によっては4コマ漫画やイラストだって描きまくったりしたいのである。
けれどもそれをやっていると本当にいつまで経っても書き上がらないので、今回は福沢祐巳の本質を解き明かす事で良しとした。牽強付会、引用出来る物は全て総動員して祐巳を褒め称えた事で、僅かながらでも胸の内に溜まった感動を昇華出来たと思うが、それでも未読の人には意味が分からない文章になっていると思う。そういう人は、是非原作の小説を読んで、福沢祐巳の魅力をその目で確かめてもらいたい。
物語の類型からすれば「物凄く公平な」主人公なんて随分珍しい部類だろう。しかもこれだけ一貫して書かれているのに、その事を指摘した登場人物は後にも先にも二条乃梨子ただ1人である。その位この天分は目に見えにくい。けれども中学時代の恩師が「君は、近くにいる時は感じないが、離れて時間が経つと、じわじわ良さが分かる人間だ」
と告白するように、それは確かにそこに暮らす人々と、それを読む者の心を打つ。下級生達が祐巳を慕うのは、祐巳が自分達をちゃんと見てくれている事を知っているからである。
福沢祐巳の目は全体を遍く見渡し続ける。
誰を犠牲にする事もなく
誰もが幸せになる事を願って。
だからこそこの物語は、「マリア様がみてる」と名付けられているのである。