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まずは泳がない事から

作成年月日
2007年09月05日 10:45

夏の間中「何故人は溺れるのか」という事と「どうすれば溺れずにすむのか」という事を考えてきたのだが、市営プールの営業も終わってしまったので、とりあえず今現在纏まった所を書こうと思う。しかしこれから書くことはとてもいい加減であてずっぽうな話なので、実践して貰っては困る。これが原因で何か起きたとしてもそれは責任の取り様が無いので、絶対に真似をしないで頂きたい。

泳げない人よりは、泳げる人の方が溺れやすい。これは多分間違い無いだろう。泳げない人は海や川で泳いだりしないだろうし、どうしてもという場合には浮き輪を着用するからだ。予期しない形で背の届かない程深い池や川や海に落ちた場合は、泳げないとほぼ100%溺れる事になるが、多分そういう形の事故の件数よりは「泳いでいて溺れる」件数の方が多い気がする。ではなぜ、泳げるのに溺れるのか。この問いの答えを俺は子供の時に溺れかけたので知っている。「パニックを起こして立て直せないから」である。

海にも川にも山にも近かった俺の田舎では、夏になれば自動的に海や川に自転車で出かけて、ひとしきり泳いで帰って来るという事が苦も無く出来た。その日は海面が赤潮で真っ赤に染まっていたのだが、そんな事も日常の一部だった俺と親父は一緒に海に出かけ、親父は潜って何やら魚を突いたりし、俺は適当に泳いでいたのである。

当時も今と変わらず、というか今よりももっと泳ぐのが苦手だったのだが、それは「上手ではない」という意味であり、けっして「泳げない」訳ではなかった。息継ぎが苦手だったが立ち泳ぎが出来たので、足の着かない深さでも困らない程度には泳げたのである。しかし、赤潮の為に水中で目を開ける事が出来ず、少し泳いでは立ってあたりを見渡し、また少し泳いでは立ってという事を繰り返していた。そして何回目か或いは何十回目か。苦しくなってきて立とうとした時に、足先に地面が無かったのである。

思いっきり呼吸する気満々で立てなかったものだからいっぺんに水を飲んでしまい、バシャバシャと手足をバタつかせるが、そんな事で岸に戻れる訳もない。時に海面越しに空を見上げながら明日の新聞の記事を想像しつつ(死ぬ時ってこんな事考えるのかぁ)と、あさってな感慨に耽っていたら異変に気付いた親父に助けられて死なずに済んだ。

背の届く所まで連れ戻されてゲホゲホ言っていた時は(本当に危なかった、死ぬところだった)と思ったが、後になって思い返すとどうにも納得がいかなかった。何故あんな所で溺れそうになったんだろう。そりゃあ確かに在ると思っていた地面が無くて一瞬水を飲んで海面下に沈んでしまったが、決してその瞬間に意識不明になった訳ではない。呼吸をあきらめておとなしく水の中で体勢を整えれば、すぐに足の届く所まで戻れた筈なのに、ただ空気を求めて手足をバタつかせて立ち泳ぎすら出来ずに死にかけた。分かっていれば絶対出来るのに、どうしてそう出来なかったんだろう。

この夏プールで色々試した結果、やはりその原因は「恐怖」なのだろうな、と思った。水が怖いというのは突き詰めて言えば「100%の状態を維持していないと水の中には居られない」という恐怖である。休憩時間が来るまで絶対足を着かないという縛りの元で、自分の精神がどういう振る舞いをするのかを懸命に探ってみると、些細なアクシデントでも結構なプレッシャーに襲われている事が分かる。泳いでいる最中にくしゃみが出そうになった時、目の前で急に他の客に立ち止まられた時、「苦しいのに次の呼吸が出来ないかも知れない」という恐怖は相当なものである。その度に体の力を抜いて「一回呼吸をしない位では死なない」と平常心を保つように自分に言い聞かせるのである。本当に怖いのは慌てることなのだ、と。

だから先日の日記に書いた「ずっと泳いでいられるようになりたいなぁ」というのは、正確に言えば「ずっと水の中にいられる様になりたいなぁ」という意味である。普通学校では「泳ぐ」事しか教わらず、その達成度は「距離」や「速さ」で測られる。けれども生き残る為にはそれだけでは不十分で、「どの位の時間泳いでいられるか」そして「泳がずにどの位の時間居られるか」というスキルを磨かなくてはならない。自分が水の中で何時間も過ごせる事、泳がなくても呼吸する手段はあるという事を確信出来ていれば、アクシデントに見舞われた時にパニックになる可能性は減ると思うのである。

離岸流に捕まったらそれはそれは焦るだろうと思う。急いで岸に戻らなければ遙か沖合いまで運ばれてしまう。けれどそこで焦って泳いで疲れ果て、それでも潮の流れに勝てなかったらアウトなのだ。沖合いで2時間でも3時間でも泳いでいられるのであれば、そこは無理をせずに素直に運ばれて、そこからゆっくり(絶対に疲れない程度に)岸を目指して泳ぐなり、助けを待つ方が分がいいのではないか。池に落ちて岸から上がるのが難しかったらあきらめて自由に泳げる広い方へと進んだ方が賢明なのではないかと、俺は今考えているのである。予期せぬアクシデントに見舞われた時にパニックに陥らずに、あえて逆の方向を目指す決断を下すのはとても難しいと思うのだが、そこで判断を見誤らない為にも実績と自信が欲しいのである。

100mを1分で泳ぐ自信や、6kmの距離を泳ぐ自信ではない。いつまでも水の中に居られる自信があり、また本当にそれが出来るのであれば、選べる選択肢は増えるのではないかというのが、この夏色々試した結果に得られた結論である。

勿論これはいい加減な話なので、絶対に鵜呑みにしてはいけない。