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『S』は『Swim』のS

作成年月日
2007年08月24日 00:55

今月初旬から近所のプールに通い詰め。今日は一ヶ月振りに全国で一箇所も猛暑日に到達しない日だったそうで、入館して一時間経つと(午後5時)辺りに人の姿は殆ど見えなくなっていた。殆どというのがどの位かというと、俺以外には小学生の女の子が2人という有様である。ちなみにプールは東原公園水泳場という所で、大型の流れるプールから幼児用プール、25mプール。更に大きなウォータースライダーまであるという、市営プールとは思えないほどの規模である。そこにたった3人。というか、大人は俺一人。

何をそんなに熱心にプール通いをしているのかというと、ちょっと泳ぐのが上手くなりたいなぁというのが常々頭の片隅にあったのだが、これまでまとまった時間を水泳に割くチャンスが無かったのである。何せアウトドア、スポーツ、健康というのは、俺にとっては非常に優先順位の低い単語だったので、大体いつも他の事にかまけて夏を棒に振って来たのだが、今年は普段涼し目の青梅も全国的な猛暑のあおりを受けてしまったので、涼みがてら折からの課題を克服するべく、プールに通っているという訳である。

別に100mを1分で泳げるようになりたいとか考えている訳ではなく(そのタイムならオリンピックに出られる)常々思っていたのは「ずっと泳いでいられるようになりたいなぁ」という事である。泳げるには泳げるのだがあまり上手ではないので体力のロスが多く、おまけにその体力も元々ない為、100mも泳げばもう足を着かずにはいられない。これでは何かあった時にどうにか出来る気がしない。どんなに時間がかかっても目的の方向に2時間でも半日でも延々と泳ぎ続けられる事。これがささやかではあるが、まずクリアしておきたい課題なのである。

そういう訳でプールに入るとおもむろに体を伸ばし、極力筋肉に乳酸を溜めないようにゆっくりと水を掻き、頻繁に息継ぎをすると体力を消耗するが我慢し続けると肺が疲れるのでその辺りの匙加減に気を配りながら呼吸をして、それはもうびっくりするくらいの遅さで流れるプールや25mプールを周回していくのである。夕暮れ時を狙うのは水の中でプロレスをする男子小学生や、アホみたいに大きなサメや海老の浮き袋に行く手を阻まれて足を着かないようにする為の作戦である。

そういう事を延々続けていると、水泳というのは高度な経済活動と似ているなぁと思う。吸い込む空気が収入で、肺の中にある空気が資産、吐き出す空気や筋力にまわすエネルギーは支出である。肺の中の空気を消費し、場合によってはある程度使わずに吐き出してからでないと、新しい空気を上手く入れられなかったり、がむしゃらに生産性を上げてもどこかでメンテナンスの時間を取らないと筋肉に負担がかかってきて、少し収入を減らしてでも身体を休めてやらなければいずれ破綻したり。泳ぎ続けるという事はダメージコントロールであり、サイクルを破綻させない為の、ある種撤退戦である。

今日は様々な好条件に恵まれ、初めて50分間泳ぎ続ける事に成功したのだが(1時間に10分の休憩が入る為50分以上は泳げない)、それよりも俺は自分の精神力を褒めてやりたいところである。なにせプールの内外周に配置された(おそらく泳ぎの達者な)6〜7人の監視員全員が、俺だけを注視する中、50分間とてつもなくスローに泳ぎ切ったのである。時々動かなくなって流れる水に身を任せ、またしばらくすると嫌がらせの様にゆっくりゆっくり目の前を通過する俺を、彼らは何周も何周も延々と見つめ続けなければならなかった。どちらが被害者かは分からないが、これは歴史に残るSMプレイと言って良いのではないだろうか。コバルト文庫から出版するならタイトルは「監視員様がみてる」で決定であろう。

このプールも9月2日には営業を終えてしまうが、目標に少しでも近付いてこの夏を終える為に、監視員の皆様には申し訳ないが、もうしばらく付き合って頂こうと思う。