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アニメーションと音楽の幸せな関係

作成年月日
2007年02月26日 03:26

「涼宮ハルヒの憂鬱」第12話「ライブアライブ」で描かれた演奏シーンの見事さについては以前書いたが(「涼宮ハルヒの戦慄」)それが起爆剤になったのかどうなのか、最近放映されている音楽物アニメはこれまでに無いほどその辺に気を使っている。「金色のコルダ」と「のだめカンタービレ」の話だ。

「のだめカンタービレ」は原作漫画の方も随分前からブレイクしていたのだが読む機会が無かった。TVドラマを観る習慣の無い自分にとってはこのアニメがファーストコンタクトである。ヒロイン”のだめ”がゴミだらけの自室で優雅にピアノを奏でるシーンを観て「やっぱり少女漫画の人物造形は少年漫画の10年先を行ってるなぁ」と感心したが、女性向けゲームが原作の「金色のコルダ」が思いの外まともに作ってあるのにも驚いた。どちらも男性読者の目を惹く必要の無い土壌で作られた物のせいか、ヒロインの物言いにあざとい所が無いのですんなり視聴出来る。(その分「金色のコルダ」の男性キャラクターのあざとさは凄まじいのだが……)

そしてどちらも楽器を奏でる人間達の物語なので頻繁に演奏シーンが登場するのだが、そこはさすがに毎週手の込んだ事をやるのは無理らしく「のだめカンタービレ」の方はCGと止め絵を駆使し、「金色のコルダ」の方はアングルの工夫で乗り切っているようだ。それでも両者とも非常に良く頑張っていて、ちゃんと監修する立場の人間を置いて頓珍漢な作画が発生しないように気を配っている。それだけでも一昔前から考えれば随分な進歩だろう。昔のアニメはその位「演奏」という物をまともに描く事が出来なかった。誰もが一度位は触れた事のあるピアノならなんとなく演奏の段取りが理解出来るが、管楽器や弦楽器は未来の宇宙船と同じくらいに遠い彼方に存在する物で、ある音を出す為にどこを押さえればいいのかという事など調べる気も起きなかったようだ。見当違いな指使いが鳴っている音楽と合っていなくてもそんな事当たり前で誰も突っ込まなかった。止め絵じゃないだけ良くやってる、という時代だったのである。

で、話がちょっと脱線してしまったが今回は作画の方ではなく、音源の方の話をしたいのである。この音源というのも過去の扱いは実に適当だった。外で歌っているのにリバーブが掛かっていたり、いつ弾いても同じ演奏だったりと、いくらそれ専門のアニメでは無いからといってもちょっと酷くないか、という間に合わせ方だったのである。そしてそれ専門でないアニメで歌や演奏シーンが出る時は大抵物語的にも重要なシーンだったので「さぁ、どんな魅惑的な音が出てくるのだろう」と期待している所に適当な音源を充てられてガックリする事が殆どだった訳だ。視聴者を感動させる事はあきらめて、その音をうっとりと聴いているギャラリーの顔を映すことで「感動的な音なんですよ」と説明して来たのである。

「のだめカンタービレ」の方は音大が舞台という事で毎回様々な曲が披露される。しかもその曲を別々の演奏者が披露する事もある。同じ演奏者でも下手な時と上手くなった後の演奏がある。事も有ろうか今週の放送ではそれが「オーケストラ単位」で発生しているのである。さすがに「演奏者達のテンポがパート毎にずれて来る」バージョンはコンピュータ上で作成したのかもしれないが、それでもそこで指揮者が音に酔う感覚を、説明されるまでも無く聞いているこちらも味わえる様にして来る丁寧さに感服した。原作の漫画では音が出ない為に登場人物たちのモノローグがそれを表現しているのだと思われるが、このアニメはそのセリフが出る前に、ちゃんとそれと同じ感想を持てる様な音源を逐一用意しているのだ。登場人物が「素敵」と言う前にそう思える演奏が鳴るのである。

「金色のコルダ」の方は校舎の屋上で練習する時、ホールで本番の演奏をする時の反響音をコントロールしてまさに今、そこで演奏しているというリアリティを保持し続けている。そして演奏に関してはエンディングのクレジットで一人のキャラクターに「声優」と「演奏者」の名前が入る程のこだわりようで、その人間が奏でる音はどんな曲であれ、その演奏者が担当するのだ。これまでもボーカルを担当するキャラクターの場合はダブルキャスティングの例が有ったが(古い所では「愛してナイト」、最近では「BECK」)楽器の演奏者がクレジットされる例はちょっと思い出せない。

そしてこのシステムが最大限に発揮されたのが今日放映された第21話「もう一度、アンダンテ」だろう。この作品の大筋を説明すると主人公の日野香穂子は普通科の高校生で音楽などからっきしだったのだが、妖精に魔法のヴァイオリンを渡され校内の音楽コンクールに出場する羽目になったという、「ヒカルの碁」の音楽版と言えばいいのか、そういうお話である。魔法の力で(弾く時の精神状態が演奏を左右するのだが)素晴らしい演奏を披露して他の出場者と交流してきた主人公が徐々にその事に罪悪感を覚え、魔法のヴァイオリンが壊れた事をきっかけにもう止めようと思うのだがいつの間にか本気でヴァイオリンに入れ込んでいた彼女は魔法の力無しで、初めてヴァイオリンを弾こうとするのである。

下手な演奏というのはこれまでもアニメの中で多々登場して来た。大概の場合は笑い所であり、盛大に音を外したテイクが使われてきたが、今回はそうも行かない。彼女の本当の願いが叶う瞬間であり、他の出場者達がその音を聞いて彼女の復帰を喜びをもって知る場面なのである。下手な演奏で無ければいけないが、下手なだけではいけない。一体どんな音を聞かせてくれるのかとワクワクしていたのである。そして奏でられた音楽は確かにそれはそれは酷いモノだったのであるが、ちゃんと日野香穂子の音だった。丁寧な演出のおかげもあるが、下手なだけではない、心に届く音だったのだ。これまでずっと演奏してきた”中島優紀”というヴァイオリニストが無理矢理下手に弾いただけではない、ハードルの高い要求にちゃんと応えた”音楽”になっていた事に驚いた。

本当に「やっている」人間からすれば、両作品とも色々言いたい事がある場面があるのかも知れないが、俺としてはこれで十分である。特に今回の「金色のコルダ」が聞かせてくれた演奏は特筆に価する。「下手なんだけど心に響く」という音楽を、絵空事ではなくちゃんと耳に聞こえる形で提示した初めてのアニメーションと言って良いのではないだろうか。