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涼宮ハルヒの戦慄

作成年月日
2006年06月20日 04:18

「涼宮ハルヒの憂鬱」第12話「ライブアライブ」を視聴。

本当に有難う。よくここまで頑張った。俺にはあの中の1カットですら最後まで描き上げる事は出来ないだろう。逃げない事、諦めない事、妥協しない事、膨大な手間でも惜しまなければ、例え僅かでも見返りはあると信じる事。

この回に携わった人間の内たった一人でも約束を破ったり、妥協したりしていたら全てが水の泡になっていた。この回を成功させる為に何ヶ月前から準備をしていたのか想像もつかない。普通の人間や普通の組織だったら二の足を踏む。最初の方か最後の方で必ず誰かが言うのだ。「そりゃ無理ですよ」と。

これまでだってこれからだって、この魔法の言葉は世界を遍く満たしているだろう。その呪縛から身を守るには大変な努力を要する。そこまでしたって見向きもしない人の方が遙かに多い。

けれども証明されてしまった。明確なディレクションを行う人間と勤勉な進行管理と誠実な絵描きと熱心な声優が居れば、こんな物が作れてしまうのだ。

この作品の第1話が放映された直後、エンディングのダンスシーンのあまりの見事さにネット上で「モーションキャプチャーやトゥーンシェーダーを使っているのではないか」という噂が流れた。言い出したのは多分業界外の人間なのだろう。自分も含め似たような仕事で飯を食っている人間はそうは思わなかった筈だ。描ける描けないは別として「描ける人間なら描ける」という事を畏敬の念と共に知っているからだ。

けれどこの仕事を成立させる為に必要な「品性」という財産を、この京都アニメーションという会社が一体どうやって維持しているのかは想像もつかない。やっつけ仕事でオンエアしてDVDを発売する時に作画を修正する事が当たり前のこのご時世に、ここまで隙の無い物を電波に乗せてくるこの会社の体質にこそ、戦慄を覚えるのである。