- 親父が使っていた古いクラシックギター
- こっちに引っ越してから買ったアコースティックギター(Martin)
- 知り合いに借りているエレキギター
- 友人に頂いたミニエレキギター
これが現在我が家にあるギターの内訳である。4本もギターを抱えてどうするんだ、足の踏み場もないぞ、という有様だ。自分で買った物は1本だけという体たらくだが、それは仕方が無い。なにせまともに弾けないのである。
一人暮らしを始めた頃からすでに部屋にはギターが置いてあったのだが、弾き方も分からないまま何年も放っておき、数年おきに親切な人が入れ替わり立ち代わりギターのいろはをその都度教えてくれるのを待つという、それはそれは消極的な付き合いしかして来なかったのである。出来る事と言えばコードを押さえて勝手な指使いで弦を爪弾くだけ、ピックなんか持った事もないし弦の張替えなんか怖くて出来ない。そういう生活を十何年も送ってきた訳だ。
じゃあそんなもんとっとと捨てれば良かったのにと思われるかもしれないが、ギター(或いはギタリスト)に対する憧憬というのは実は随分根強く持っていて、家にあるCDの楽器別内訳ではピアノと肩を並べる位に多い。山下和仁、岡崎倫典、村治佳織、アル=ディメオラ、パット=メセニー辺りと言えば、なんとなく好きなギタリストの傾向が分かって貰えるだろうか。スーパー・ギター・トリオの「FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO」を初めて聞いた時の衝撃は今なお色褪せず、その後訪れた来日公演のチャンスでは不覚にもビールなんぞを飲んで夢心地のまま聴いてしまい、後になってどんなだったか良く覚えてないという大失態を演じたのもほろ苦い思い出である。
そんな風に焦がれつつも圧倒的な「向いてなさ」に行く手を阻まれ続けてきた訳だが、ここ半年位は随分ギターに触る時間が増えてきた。何がきっかけだったのか良く覚えていないのだが、恐らく「モード問題」に取り組んでいる過程でニアミスしたのだろう。ギターにはまる!というサイトに行き着いたおかげで「やっぱりもうちょっと弾けるようになろう」と思ったのだ。
ピックをしこたま買い、更に指板潤滑剤、金属磨き、ポリッシュ等のメンテナンス用品を揃え、不甲斐ない左手を鍛えるべくGRIPMASTERをコートのポケットに忍ばせ、アンプシミュレーター(BEHRINGER X V-AMP)まで買ってしまう有様で、知らない人が見たら「ギタリストにでもなる気なのか」と言われかねない位の入れ込み様である。日に8時間もギターを弾く様な時間は無いのだが、夜中にベッドの上でギターを弾き過ぎて首の筋を違える位には熱心に練習しているのだ。
やればやる程「向いてなさ」を痛感して挫けそうになったりもするのだが、これまでと違うのは先に挙げたメンテナンス用品の存在が大きい。弦を選び、フレットを磨き、弦高を調節しオクターブチューニングを合わせる事で「なんでこんな所にギターがあるの」みたいな疎遠な感じから、親しみが湧くくらいには楽器との距離が縮まった気がする。何でもそうだが愛着というのはとても大事だ。
このまま練習を続けていつの日にか「ギターが趣味だ」と胸を張って言えるようになりたいなぁ、と思って今日もピックに手を伸ばすのである。