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ホットワールド

作成年月日
2005年12月02日 02:56

広島で起きた児童殺人事件について、口をつぐんでいるのもあれなので一応書くべき事は書いておこう。事件発覚当初から腑に落ちない事ばかりで、事の進展を待っていたのだが、この「待っている」という事すら許されない空気が世間を覆っているようだ。

年端も行かぬ子供の不可解な殺され方に、マスコミや社会感覚が一斉に「猟奇的な殺人者」「幼児性愛による犯罪」に飛びついたのは分かる話だが、早い段階で事件発生時刻が絞り込まれ、遺体の発見まで1時間強しか経っていない事実が判明した時点でこのパターンからは少し外れているなと感じた。

猟奇的というには芸が無く、趣味による殺人にしてはあまりに手放すのが早い。釈然としないまま数日が経ち、その間ワイドショーは子供の安全を脅かす者たちを糾弾するだけの放送を繰り返した。

その後ペルーから出稼ぎに来ている外国人が容疑者として逮捕された時、おそらく殆どの人が意表を衝かれたのではないか。想定していた事件とは違う。犯人は命の大切さも知らない青年か、小児性愛の変質者。世間が先入観で描かされていた犯人像は決して出稼ぎ労働者ではなかった筈だ。

しかしそれでも報道はやまない。逮捕されたといっても挙がっているのは状況証拠と一日取り調べを受けた後の自白だけで、直接的な証拠は何も発見されていないのである。国に妻子をおいて日本に働きに来た人間が行きずりの小学生の女の子を殺してアパートの前に遺棄する理由が無い。未だこの事件は釈然としない。

この容疑者が犯人である可能性は、当日犯行に及ぶ事が出来たすべての人間と同じくらい高い。この後さらなる事実が明るみに出て彼の有罪が立証されるのかも知れないし、犯人であるにも関わらず証拠不十分で無罪となるかも知れない。あるいはその前に別の容疑者が現れるかもしれないし、もしかしたら刑が確定した後冤罪だったという事態も起こりうる。冤罪だったのにそれが明らかにならないままという事ももちろんある。

公然と行われた事件で無い限り、どんな事件も事実は当事者だけが知り得る事であり、警察も検察も裁判官も自身が信じる事でしか、人知れず行われた行為を糾弾する事は出来ない。それを見聞きする者もまた、自身が納得しなければその事について触れる事は出来ない。

そういう意味で、この事件は自分にとっては何も進展していない。事件発覚直後から今に到るまで、分かっているのは小学生の女の子が殺された事だけ。これがどんな事件なのかまるで分かっていないのに、どこかに不備があったのか、誰を弾劾するべきなのかなんて言える訳がないし、嫌な世の中になったなんて口が裂けても言わない。