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ハリウッドの始め方

作成年月日
2005年10月15日 05:35

少し前の話になるが、テレビで「ナッティ・プロフェッサー」という映画を放送していた。何の気なしに眺めていたのだが、ハリウッドの技術の成熟度には本当に恐れ入る。物語の導入部において特にそれは顕著で、観客の興味を引くシーケンスの畳み掛けの上手さにはいつも感心する。

どんなジャンルの娯楽でも物語の導入部というのは神経を使うものだが、ここを安全確実にクリア出来る手形を手に入れたという事は、何も知らない観客にとりあえずこの物語を問う資格を手に入れたという事に他ならない。それは、本当に凄いことだ。どんなに素敵な結末を用意していても門前払いではそれを披露する事は叶わないのだから。

きっちりと立てたキャラを最小限のカット数で流れるように紹介していくこの手管はどのスタジオにも遍く行き渡っているようで、余程のZ級作品でもなければこの部分で下手を打っているものにはお目にかかれない。にも拘らず、最終的に物語が辿り着いた所が導入部に較べて見劣りするものは実に多く、スタートラインでは皆一様に高いのに開始40分くらいで次々と脱落者が出始め、そこを乗り越えても80分くらいには虫の息、エンディングまで辿り着ければ御の字という感じだ。

物語の始め方というのは、おそらく公式化出来るのだろう。経験と洞察と模倣によって高度に安定した手管を完成させているように見える。途中観客を飽きさせない手管も、導入部のそれに較べれば若干不安定であるものの、ある程度の法則を確立しつつある様だ。

しかし最後の部分、見終わった客に満足感を与えられるかどうかが決まる大事なところだけは、どうも決まった手管というのは見つかっていないようだ。ここだけは、他所からテクニックを持ってきて切り貼りするわけには行かない。作る者の頭の良さか人間性か芸術性が客を圧倒出来ないと、せいぜい「まぁ面白かった」くらいの感想しか得られない。(そこまで行ければ十分とも言えるのだが)

ハリウッドが最初の10分を乗り切る手管を手に入れ、その時間を30分、60分、90分と延ばして行き、やがて最後の1分を残すのみという所まで行ったとしても、その先のカウントが0になる日は来ない気がする。投資家の方々には悪いが、だからこそ映画は面白いのではないかな?