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頭の中には何がある?

作成年月日
2022年05月16日 10:53

脳でしょ、と言ったあなたは正しい。脳以外の物も色々詰まってるけどそれは割愛して、今回はとても当たり前の、けれど多くの人が引き寄せられる誤謬について書いておきたいと思う。

「頭の中のイメージを直接形に出来ればいいのになぁ」と多くの人が言う。頭蓋越しにケーブルみたいなのを刺して、頭の中にある絵や物語や音楽をダイレクトに完成形に出来ればすごく良いものを作れるのに、それは今の所不可能なのだ、勿体ないなぁ、と。

残念ながらそこに埋まっているのは目を覆いたくなるほどグロテスクで、低解像度で、隙間だらけのイメージである。

もしそこに完成形がちゃんとあるなら、誰でも絵描きや小説家や作曲家になれる。これらの芸術様式は無限リトライが可能なのでとりあえず描いてみて、頭の中のイメージと違う部分を直して、改めて見て、また違うところを直して、それを繰り返せばあっという間に完成である。小説などは一本道で書けるだろうし、作曲は12種類の音階のどれかを適当に置いて、イメージと違う音だったら別のを試して、それを繰り返して行けば良い。使う音は12種類なのでどんなに運が悪くても11回挑戦すれば必ず欲しい音が鳴るだろう。

でも、そうはならない。絵は直している内にどういう絵にしたかったのか簡単に迷子になってしまうし、ダメ脳内補正のおかげで間違ってる箇所を見つけることも難しくなる。小説は3ページ目でキャラクターが止まり、音楽は最初の3トライくらいでもう頭の中のと違う音を正解だと思い始める。

図1:簡単な迷路

こんなものなのだ。極めてレアな超常能力を生まれながらに持っている一部例外を除いた普通の人間は、完成形が内包する膨大な情報を頭の中だけで維持できない。簡単な迷路(図1参照)だって頭の中で設計出来る人は少ないだろう。入り口から考え始めて真ん中辺りの分岐を考えている頃にはもう入口の形を忘れている。1枚のイラスト、1本の小説、3分の曲に必要な情報量はこれの何倍だ?

制作過程が一本道で終了することは理想である。見えている絵をなぞって、後戻りも描き直しもなくまっすぐ始めてまっすぐ終わる。いつもそう出来たらどんなにいいだろう。けれども実際の作業は往々にして途中で合わなくなった辻褄を繋げ直したり、考えてなかった部分を資料に当たってその場でデザインしたり、打ち込んだパートを全部消してまた新しいリフを試したり、主人公が実は魔族だったりするのである。

そうやって、試行錯誤しながら自分が頭の中にあると思っていたイメージを構築・成形したり、或いは考えてたのと違ったけどこれはこれで面白いからいいかとなったり、そんな面倒な作業を繰り返すことで少し、頭の中で扱える情報量が増える。前よりイメージの確度と解像度が上がる。知識が増えれば全部をイメージしなくてもその部分は自動的に出力できるようになるので、より独創性の方にリソースを割ける。

そこの訓練なしに頭の中で傑作を物にしようなんて無理なのだけど、初心者未満の内ほどその頭の中の物を過大評価してしまい、にも関わらずそれを満足な形で出力できないので何年も何年も寝かせてしまうのだな。順序が逆なのだ。それを満足な形で出力できないのは、出力しないからなのだ。

まぁこの病に誰より重く罹ってたのは偉そうに語ってるこの自分なのだけど、自分の作品から手を放すことが出来るようになるとね、それはそれは楽になるよ。頭の中にあるこれはゴミなので、キャンバスの上で何とかマシな形にしてみましょうと思えば少し気が楽にならない?上手く行けばやったぜと思うし、ダメならダメでまた何年後かに別の形でリトライすればいいだけなので。

傑作は、残念ながら素人の頭の中に湧いたりしない。今頭の中にあるのはほぼ間違いなくどこかで見たような物を8億回劣化コピーさせたような酷いものだけど、それでいいじゃん。傑作はそこじゃなくて、ペンを取って描き始めた道の先、随分先かも知れないけど、そこにはきっとあるからさ。

ペンを取る事を躊躇する理由なんて、ひとつも無いんだよ。