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胆嚢を取って来たよ或いは何でも自分のせいにしてたらいけないねというお話

作成年月日
2020年01月16日 10:28

酷い目にあった。

いや、もう、どこから話せばいいのか迷ってしまうけど、基本的に私、毎日が半死半生で、ここ10年、まともに起きてられなくて。複視という、目に映る像が一つに重ならない症状を発症して以来、(おそらく)それに付随しているであろう非回転性のめまいや(これまたおそらく)それが原因の吐き気やら何やらで、生き物としてのレベルはだだ下がり、理由は分からないが最近は鳴りを潜めてくれている顔面神経痛も相まって、1時間も仕事をすれば一旦横になって休まないとどうにもならないくらいの有様で。

これらは大学病院や専門病院でガチガチの検査をして貰ったにもかかわらず結局原因は特定出来ず、対症療法としてプリズム眼鏡を処方された以外の治療は一切施されないまま現在に至っている。症状がある以上原因、機序はある筈なのだけど、それを特定する為にかかるコストは現在の医療体制では賄えなくて、まぁ今すぐそれで死にそうって訳でもなさそうだから、とりあえずこれで生きて行きなさいねと。特定出来ない病気は病気ではなく仕様なのだな。

そんな訳で自身の肉体に対する私の期待値は恐ろしく低く、何かの不具合が出てもそれは「おかしくなった身体の当然の出力結果」と見做す癖がついていた訳です。壊れた機械がちゃんと動かないからって別に不思議とは思わないように。

それがあかんかった。

背中の痛み

いったいそれがいつから始まっていたのかはよく覚えていない。仕事は座りっぱなしのデスクワークで、運動の類も嫌いなので時々背中(左右肩甲骨の間辺り)が痛くなってもそれは「コリ・筋肉痛」の類だと認識していた。あ、また来ちゃったなと思って半日横になってやり過ごす、そういう事が多分半年くらい、もしかしたらもっと前から(注1)あったのかも知れない。なのでその日も「あっちゃー、また始まってしまった。」くらいの気持ちで背中の痛みを迎え入れたのである。これは今日半日、何も出来ないぞと思いながら。

とんでもない。半日どころか1時間もしない内にどんどん痛みは激しくなって来る。背中の痛みに加え、胴体の前側、みぞおちの辺りも軋むように痛い。どういう筋肉痛だこれは、そこまで俺の身体はぼんくらになってるのかと思いつつベッドの上で姿勢を変えながら痛みが引くのを待つ。待つのだが、引かない。何か食べて気を紛らわせるかとレトルトのカレーを掻き込むものの、状況はさらに悪化。暑くもないのに汗が出る。これは……何かまずい事態に突入しているのでは?と思い始めたのは正午前くらいであった。

救急セクション

動ける内に自分で病院に行こうと決めて、車で近所のそこそこ大きい総合病院に駆け込む。体を折り曲げながら受付まで這うように歩き「……上半身が痛いんですが、これ何科を受診すればいいんですかね」と尋ねる。「上半身……」訊かれた方も困ってしまうがそれをどうにかする余裕はない。幸い、受付女史は院内のどこかに電話をかけ、こちらの様子を伝えながら向こうの判断を仰いでいる。10分かそこらの質疑応答を経て、「いま車椅子が来ますから、それまでそこにかけてお待ちください」と言われる。……車椅子……確かに上半身がぼろくそに痛いけど、脚は動くし別に車椅子じゃなくても構わないのだけどなぁ、どこの科に行けばいいのかだけ教えて貰えれば……等と考えていたら看護士さんが車椅子を持って到着。促されるままその座面に身体を預けると「ガーーーーーーッ」と物凄い勢いで廊下を運ばれる。あれ、これ、何?

連れて来られた小部屋でベッドに横たえられると、すぐさま服を脱がされ手術着のようなものを着せられる。そこからは流れ作業のように点滴、血圧測定、採血、しびんで排尿(これは検査でも何でもない。トイレに行くことを許されなかっただけである)、レントゲン撮影にCTスキャン、更に造影剤を使ってまた再スキャン、とどめに超音波診断と、いや、俺は良く分からない理由で背中が痛いだけなんですが、え、これ何タイム?みたいな疑問を抱きつつ、しかし餅は餅屋なので向こうの判断にお任せしてありとあらゆる検査を受けた。

検査が一通り終わると医師が「今の内に家族を呼んでおこう」とか言い出して。えっ、ここに女房必要?と思ったものの、言われるがままにスマホから女房の電話番号を渡すと15分後くらいには女房が会社を早退して到着した。訳が分からないと言った風でとりあえず心配そうにこっちを見るものの、こちらもそれ以上に訳が分からないので力なく笑うしかない。CT所見と超音波診断の像から、大動脈解離(すぐに手術しないと死ぬ)と胆石による胆嚢炎(胆嚢の出口に胆石が詰まってる)が見て取れるが、ウチの病院ではそれらの手術は出来ないので今から救急車で別の病院に搬送しますと言われる。

痛みを感じるだけの機械

そのまま女房と一緒に救急車に乗せられ20分程の道のりを往く。着いた病院でまた救急に運ばれ、先の病院でスキャンしたデータを機械に読み込む間また痛みを感じるだけの機械になる。

表示されたCTスキャンデータをマウスでクルクル行ったり来たりさせながら診断に当たる医師たちの中からあーだこーだ言う声が聞こえ、ひとり「これは違うよ」みたいな事を言ってそそくさと退席して行った。どうやら大動脈解離の線は消えたようだ。採血した血液検査の結果が出るまで更に4〜50分待たされ、ようやく出た結論は「胆嚢炎でしょう」。な……なんでもいいから早くこの痛みをどうにかして……

「じゃあ、明日の昼に予約を入れておきますから、今日は一旦帰っていいですよ」

えっ。帰っていいの?この状態で?何ひとつ状況改善してないけどここから帰っていいの?帰ったらこれどうなるの?

結局明日正式に診断してどうするか決めるまで何が出来る訳でもないので、別に泊まって行ってもいいけどどうする?と。そりゃ、痛いの我慢するだけなら慣れ親しんだ我が家でする方がマシだろうかと考えて、女房に車を取って来てもらって(ここで更に2時間くらい痛みを感じるだけの機械と化す)家に戻って、長い夜を耐えた。明日の昼にまた病院に行けば、今度こそどうにかなるのだろうと一縷の望みを抱いて。

続・痛みを感じるだけの機械

12時半の診察予約の、その1時間前には採血があるのでと言う事で11時半くらいに病院に着く。ところが午前の診察時間に緊急のオペが入った為、その枠の診察がごっそりずれ込んでいつ診察出来るか分からないという。えー。背中とみぞおちの痛みは増すばかりでここで何時間も座って待つのは無理っぽいと判断し、どこか横になって待てる所は無いかと相談したら、点滴室?みたいな所に案内して貰えた。別にベッドに横になったからと言って何が楽になる訳でもないのだけど、それはもう、選択の余地も無いような有様なので。

ベッドの上でじりじりとのたうち回りながら17時半頃、やっと診察を受ける事が出来た。診断は昨日と同じく胆嚢炎という事で、一も二も無く胆嚢全摘出手術を行う事が決まった。そこでもう今からやってしまうかと言う話も出たのだが、麻酔医がもう帰ってしまって手術出来ないねという事でそれは翌日に回された。くわっつ、予定時刻に診察を受けていられれば今頃手術は終わっていたのかも知れないのだ。そのまま入院手続きと手術の為にびっくりする量の同意書にサインさせられ、4人部屋の病室のベッドで痛みを感じるだけの機械になるお仕事が始まった。

こう書くとその、痛み止めとか貰わなかったの?と不思議に思われるかも知れないが、通常の痛み止め程度ではまるっきり効かないのだ。点滴を使った痛み止めのみ一時間弱くらいの効果を発揮したが、それは一度注入するとその後6時間は使えないというアニメの必殺技みたいな仕様なので、発症からほぼ36時間、もうひたすら痛いだけなのである。

解放

時々意識を失いながらうんうん唸って、それでもいつか夜は明ける。朝になり、看護士さんが手術用の靴下やパンツを持ってきてくれた。靴下はピッチピチのニーソックスで、後で調べたところによるとエコノミークラス症候群を防ぐ為の物だったようだ。パンツの方は、なんか紙みたいな素材で出来てて、これはまぁ、安く使い捨て出来るようにと開発されたのであろう。着替え終わってベッドごと院内を運ばれ、手術室に着いた時にはなんでもいいから今すぐやってくれという心持ちであった。あぁ、やっとこの痛みから解放されるのか。早く。早く俺に全身麻酔をかけてくれ。この時頭の中にあった想念は、早く気絶したいという、ただそれだけであった。

手術は滞りなく終わったようで、目が覚めたらナースステーション直近の病室で尿道カテーテルと点滴と酸素濃度を測るクリップを取り付けられていた。尿道カテーテルは二度目なのだけど(全身麻酔の手術も二度目である)やはりこの、残尿感が常にある感覚は苦手である。

「あの、トイレに行きたいんですが」
「カテーテル入ってるから大丈夫ですよー」
「入ってるんですか」
「入ってますよー」
「凄く出そうなんですが」
「そんな気がするだけで、もう出てますよー」
「本当に?これ、じゃあ今試しにしてみても大丈夫なんですか」
「大丈夫ですよー」

みたいな頭の悪い会話を交わしながらまたいつの間にか眠ってしまった。今回採られた術式は腹腔鏡下胆嚢摘出術という物で、腹に4カ所小さな穴を開け、そこから炭酸ガスを充填して腹腔を膨らませ、その穴から器具やカメラを突っ込んで胆嚢を切除、摘出するという手順である。切除した胆嚢はへそに開けた穴から引っ張り出すそうな。小さい切開で済むので患者の負担も少ない。実際、へその傷がちょっとヒリつくくらいで、他の穴に関しては上から貼られたガーゼが無ければそこに穴を開けられたと認識することも困難なほどである。そして何より、この48時間絶えず背中とみぞおちにあった痛みが、今は無い。

こんな簡単な事だったのか……、今までの我慢は一体なんだったんだと、終わってみればちょっと呆れたような、晴れ晴れとした気分であった。そしてその後、摘出した胆石とご対面。わぁ、大きい。明らかに胆嚢の直径より大きくないかこれ。

戦後処理は続く

手術後2日して無事退院(注2)。治療費入院費合わせて20万円あまりが吹っ飛んだり、その後胃腸が食べるもの食べるものまるで消化してくれず酷い腹痛に見舞われて水分だけの食事を余儀なくされたりとか色々あったけれど些細な事である。実は長年患っている複視もこれが原因で、手術のあと目が覚めたら治ってたりしないだろうかという期待もあったのだけど、それは無かった。身体のポンコツ具合の内の一つが、実はただの病気でしたという話である。

複視と顔面神経痛に関わる通院経験から、自分の身体の不具合はもうどうしようもないという諦観を持っていたので、時々背中が痛い程度の事を取り立てて考えるようにはなっていなかった。けれど、これは「自分のせい」では無かったのだ。いやいやいや、胆石こさえた原因にはお前の不摂生な生活態度が関係してるんちゃうんかとか、人間ドックとかマメに行ってればもっと早く見つけられたのではとか言われたらそれは全くその通りなのだけど、えーっと、正確に言うと「100%自分でコントロールできる領域の話」では無かったのである。

どれだけ健康に気を配っても病気にかかってしまう人は居て、その逆に適当にやってても元気な人も居て、それはあくまで確率との戦い、コストとリスクのせめぎ合いなのだけど、それで運悪くペイしない結果を引き当ててしまう事はあるのだ。だから無駄なあがきはやめて適当にやってしまおうという話では無くてね?ギリギリまで確率をコントロールしようとしても、どうしてもあと少し、最後に手が届かない悔しさの場所の為に、医療はあるのだな。だから、「コレも自分がどうにか折り合いを付けなくてはいけない類のモノなのだ」という思い込みは間違っていた。腹の中から臓器一つ切り出せば解消する痛みは、あったのだ。

結局手術から2カ月弱ほどが経過した現在、以前のように物が食べられているかというと食べられていない。術後しばらくは消化不順が起きるやも知れんと言う話も聞くので、それはまぁ別にいいかと。もしかしたらこれも原因のある話なのかも知れないけれど、食が細くなってそんなに困る事はないので(外食の選択肢が激しく狭まるくらい?)しばらく様子見である。今日も物は二重に見えるし、めまいも耳鳴りも24時間休みなく続くけど、それでも晴れ晴れとした気分でいられる。上手く言えないけれど、痛みの例え一部分でも、それを人の手に委ねることはまだ許されていたのかと。それを、自分より上手にどうにかしてくれる人がまだ居たんだという事実に、とてつもなく勇気づけられたのである。

注1
これを書いていて気が付いたが、そう言えばかれこれ7〜8年?頻度はそんなに多くないものの、時々朝起きた時に背中が痛くて「あ、また背中を寝違えてしまった」と女房に報告する事があった。アレはこれだったのかも知れん。くわっつ。
注2
無事退院、とか書いてるが、女房が居なかったら入院手続きから車の送迎、入院中の暇をつぶすスマホと電源コードの調達など何ひとつ完遂できたとは思えない。特に入院手続きに関しては、入院する前にあれこれ同意書を書かねばならず、これ一人暮らしとかだったらどうするんだろうと痛みに朦朧としながら思ったものである。