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日本語吹き替え翻訳のアクセラレーター『Sherlock』第一話について

作成年月日
2016年09月02日 11:30

※この記事には、ある事情(参照:「間違った英語の話をしよう」)のもと、高い確率で間違った知識が含まれています。

女房の勧めで『Sherlock』の第1話をNetflixで観たのだけれど、いやぁ、面白い。けどこの作品が面白いというのは今回の趣旨ではなく、ちょっと気になる吹き替えがあったのでその事をメモしておこうかなと。

時は現代、舞台はロンドン、警察から度々捜査の助言を請われている変人シャーロック・ホームズと、アフガニスタンから帰還したものの戦地で受けた傷の後遺症が未だ癒えずにいるジョン・ワトソンの出会いから始まるこの物語は、つまり「コナン・ドイルという作家が『シャーロックホームズ』シリーズなる小説を発表しなかった」世界の話である。なので「へぇ、君、シャーロック・ホームズっていうのかい。本名が?こりゃ驚いた。」みたいな台詞は無い。ここでは(今の所)彼らがオリジナルである。

知人の引き合わせで変人シャーロックと松葉杖のワトソンがちょっとお高めの下宿をルームシェアしようかどうしようかという所で、二人は連続自殺事件の現場検証に赴く。床に横たわる被害者の遺体。一通り手がかりを攫ったシャーロックが、元軍医であるワトソンに略式の検死を頼むシーンのキャプチャ画像が以下の物である。

シャーロック:「手伝ってくれ」
ワトソン:「ただの同居人だ」

ワトソンの言う「ただの同居人だ」という台詞の主語は「自分」であろう。「自分はアフガンから帰還して生活が苦しいのでルームシェアに乗っただけの同居人であり、こんな訳の分からん事態に巻き込まれて頼みごとをされる筋合いはない」と言いたいのである。もっともな言い分だ。同シーン2カットの英語音声、及び字幕は以下のようになっている。

シャーロック:「Helping me make a point.」
ワトソン:「I'm supposed to be helping you pay the rent.」

「ただの同居人だ」と日本語で書かれていた箇所は「I'm supposed to be helping you pay the rent.」となっている。ちょっとややこしいけど、これは「I'm supposed to(私は想定されている)be helping you pay the rent.(君が家賃を払うのを助ける)」となって、要するに「俺は君が家賃を安く抑える為に存在してるんだよな?」という事を言ってるんだと思ったのだ。「helping you make a point」ではなく、「helping you pay the rent」が私の役目なのでは、とワトソンは牽制している。そう読んだのだけど、ここの日本語吹き替え音声で、シャーロックとワトソンのやり取りは以下の様に話された。

シャーロック:「手伝ってくれ」

ワトソン:「家賃折半なら手伝う」

あれっ!「家賃折半なら手伝う」??そういう話でしたっけ?と。そりゃあ吹き替え音声は原音声を忠実に翻訳するだけの物ではないけれど、しかしここに至る手前でこの二人が家賃を何割ずつ負担するかで揉める様なシーンは無いし、そもそもルームシェアなら折半が当然であろう。7:3とかで話が進んでいたのか?と、あまりに唐突なワトソンの取引に仰天したのだ。大丈夫だよな……「I'm supposed to be helping you pay the rent.」は「お前が家賃を払ってくれるなら(you pay the rent)、手伝ってやろう(be helping you)」みたいな話では無い筈だよな?

重ねて言うが吹き替え翻訳は勝手な事をするなという話では無いのだ。ただ、この台詞はこのストーリー消化時点で相当踏み込んだキャラ立てである。いずれそういう軽口を言い合うようになるとは思うけれど、というか、この後の第2話で早速シャーロックが辞退した前金をしっかり受け取る位にワトソンはお金に正直なキャラなのだけど、この時点で「家賃折半」を口の端に乗せるワトソンは、それを口にしなかった場合のワトソンとは別のキャラクターとして認識されうる位に、踏み込んでいる。

なかなかアグレッシブな訳を入れてくるなぁという驚きと、そうであるが故にこれもしかして俺が読み間違えてる?と狼狽させられたおかげで当分忘れられない台詞になった「I'm supposed to be helping you pay the rent.」

勿論、ホントに俺が読み間違えてたらこの記事の本題が揺らいでしまうのだが、それはそれでご愛敬という事で。

……大丈夫だよな?