※この記事には、ある事情(参照:「間違った英語の話をしよう」)のもと、高い確率で間違った知識が含まれています。
以前、というかまだ3カ月前か、こんなことで悩んでいた。
「I looked at a stain on the carpet.」が「カーペットの上のシミを見た」なのは分かるけど、それが「カーペットの上でシミを見た」でないと保証するのはどこなんだ。というか、そう言いたい時はどう言えばいいんだ。
「カーペットの上のシミ」を見たのか、「カーペットの上で(別の場所の)シミを見た」のか。シミとカーペットとの相性が良すぎるけれど、自分がカーペットの上に立っていて、どこか別の場所のシミを見た可能性だってあるではないか。「on the carpet」なのはシミと自分のどちらなのかを「一体どこで見分ければいいんだ!」という疑問である。
これに関してはタイムラインで”かっこいい彼の車”みたいな物で、どっちになるかは文脈で判断するしかない、というお話をしていただいた。彼がかっこいいのか車がかっこいいのか分からないでしょう、と。なるほど言われてみれば日本語でもそういう場面はちょいちょいあるわ。
で、今日も読んでいた『Forest 7th Edition』のp.326についに!ついにその事に関して書かれている部分があったのだ。『形容詞句か副詞句か区別できない前置詞句』というタイトルのそのコラム曰く「やっぱりそこだけでは分からないよ♪」と(注1)。Oh……なるほど、言語と言うのは艶めかしいものであるな。というかこの辺に関しては最近覚悟が決まって来た。ここまで読む途中でも、耳にタコが出来るくらい”文脈で判断するしかない”と聞かされて来たのだ。スコープが狭くなれば文の一意性は揺らぐ。全ての答えが1文の中に込められるのであれば前後の文は必要ない。
長文をスラスラ読めず、1文だけ取り上げてそこから構造を学ばなくてはならない現段階の自分のキャパシティが原因なので、そのもやもやは甘んじて受け入れる他ない。多分「a」と「the」の使い分けの気分が一向に育たないのもその辺に起因しているのだろう。連続した流れの中で「a」が「the」に変わる瞬間を何度も何度も体験しない限り、この二つはいつまで経ってもお客さん扱いで、へー、今回は「a」なんだ。さっきの例文では「the」だったのにねぇ、まぁ、よろしくね?みたいな。
きっと今の自分は最初に挙げた例文の中にいる。シミを見ているのだけど、シミをじっと見ていて、シミしか見えないので「そのシミがどこのシミなのか」が良く分からない。少し周りが見えるようになれば、それがどこにあるシミなのか、なんて事は明らかになるのだ(注2)。なので、こんな所はさっさと抜けなくてはならない。言語の中の「もう、間違いようもなくそれは信頼してくれて大丈夫」というルールを全部抑えきって、その先の目配せが必要な領域を浴びに行くのだ。
- 注1
- しかし、わざわざページの半分を割いてこれに言及しているという事は、「これどっちにかかってるの?」は割とポピュラーな疑問だという事で、良かった良かった。俺の頭がおかしい訳ではなかった。
- 注2
- なんてことはない、結局絵を描く時と同じ事象がこっちにも発生するという事なのだな。