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非相対音感

作成年月日
2016年06月22日 23:05

音楽における調性感、という物には(素人の割には)そこそこ自信があったのである。一時期音楽学校で和声の勉強をしたので、そこで鍛えられたのかも知れない。いや、そんな大層な物ではないな。ほとんどの人に普通に備わっている、途中で何の準備もなく調が変わったら「あれっ」と思う能力の事だ。ウチの娘が適当に歌を歌うとそういう現象がちょくちょく起こる。途中途中で音を外して、しかしその次の音は外した音からは正しい音程で歌って行くのでどんどん元の調から離れて行く。

初めて聴く歌でも、1〜2小節聞けばそれが「何々調」かは分からないが調は決まるのだ。だからこそ本来の調の構成音以外の音が上手く使われた瞬間、「おぉ」と思うのである(注1)。

聞こえて来たメロディの構成音が3つ、4つと増えて来た時、その曲の調の候補はどんどん絞り込まれて行くのだが、7音全部出揃うまで調は決定されない。聞こえて来た何音かで頭が自動的に調を想定し、それと違う音が入って来た時「あ、こっちの方か」と修正される。そういう風に、出来ている。

ところが、歳を取ってきたせいか、ここ数年それが怪しくなってきた。調の修正が入らないのだ。少し音量が小さい時、つまり伴奏の何割かが聴こえない状況でそれがよく起きる。最初に想定した調と違う音が入ってきた時、それでも自動的に修正されず、頭の中の調が固定されたまま曲を聴き続ける羽目になる。これ凄く気持ち悪い。いつも聴いてる歌であっても、一度この状態になると音源の方が「音を外してしまっている」ように聴こえるのだ。だってこっちが想定してるのと半音ずれた音が入ってくるんだもの。ああっ、この調ではない、違う調を想定してしまっている、と気付いてもなかなか本当の調に戻せない。昔は勝手に修正されていたのが、今は意識的に頑張らないとこの「思い込み調」から抜け出すのが難しくなっているのである。

自分の知らない歌であっても、相手がそれを音痴に歌えばそれと分かる。「その音絶対違うだろ」と思うのは、聴く側の頭の中に調が想定されて、その構成音と実際に歌われた音を比較して「外れた音」を不快に感じる機能のおかげだが、それは、たとえ相手が正しくてもこちらの想定が間違っていればやはり不快に感じられるのだ。受け手次第でプロの演奏だって音痴に出来るという、なかなか衝撃的な発見である。

自分は絵を描くのが仕事なので、歪んだ絵をちゃんと描けているように錯覚させる「ダメ脳内補正」の威力は重々承知しているのだが、それは本来「作ってる側」に起きる現象である。けれどこれは、受け取っている側に拠る、攻性ダメ脳内補正なのだ。なんであれ、受け取る側の認知が狂っていればそれはとんでもないコントに早変わりするという、割と普遍的なお話な気もするけれど、いやぁ、怖い怖い。

いずれ、正しく描けた絵がどうしても歪んで見える日が来るのかも知れない。それに比べればダメ脳内補正なんて可愛いもんだなぁ、と思うのである。

注1
twitterで知り合った絶対音感の持ち主は、音は12音全部等価に聴こえるのでその現象は起きないと言っていた。それはそれで凄い話である。