unlimited blue text archive

「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st.」が掬い切れなかった物

作成年月日
2011年09月21日 15:30

先日「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st.」を再鑑賞した。この作品のTV版に関しては「ささやか過ぎる願いの系譜」で軽く触れたが、劇場版に関してはレンタルDVDが出た直後に借りて来て観たものの、何か満ち足りない気分にさせられたので特に言及する機会を作ろうとは思わなかったのである。

ストーリーはテレビ版とほぼ同じ、台詞やレイアウトも共通の物が多くそれが「劇場版」に相応しい作画で描き直されている。そういうアニメである。実はテレビ版初見時に自前で”編集版(2時間強)”を作ったのだが、そのダイジェストDVDとこの劇場版は良く似ている。「なのは」第1期をまとめるなら「ここは削ってここは残して」という解にさほどの幅は存在しない。そつなくやろうと思えば誰が作ってもこういうフィルムが出来上がるだろう、と確信出来る程に、「魔法少女リリカルなのは」は話の骨子がはっきりしている物語である。

にも係らず劇場版を観た時に物足りなさを感じたのは何故だったのだろう、という疑問に対してやっと一点回答を得たので、それを今、書いておこうと思う。

全力全開TV版

結論から言えば劇場版が取りこぼしたのは「TV版の第11話のエッセンス」である。フェイトと友達になりたいなのはが下した結論=とりあえず相手を完璧にボコる、を実際にやってみせたこの回は「なのはと言えばこれですよね」と誰もが口を揃えて言うであろう。この戦闘は出来ればDVDなりなんなりで改めて観て欲しいのだが、だからと言って「さぁ、観ましたか?行きますよ?」と言う訳にもいかないので、その”エッセンス”を静止画とキャプションでなんとか説明してみようと思う。

フォトンランサーを発射するフェイト
ディバインシューターで迎え撃つなのは
なのはの初撃を撃ち落としたフェイトが海上に目をやると、そこには既に次弾を装填済みのなのはの姿
2撃目のディバインシューターをかいくぐり、なのはに打ち掛かるフェイト
フェイトと鍔迫り合いをしながらこっそり背後に忍ばせておいたディバインシューターの一片をフェイトの背に向けて発射
背後からの攻撃を瞬時に察知し迎撃するフェイト
しかしそれすらも囮で、天上からフラッシュムーブで一気に直接攻撃に転じるなのは
衝撃と閃光の中、敵を見失うなのはに、今度はフェイトが背後から襲いかかる
すんでの所で身を翻してフェイトの攻撃を躱すなのは
だが逃げた先にはフェイトの”置きフォトンランサー”が既に仕掛けられていた

ちなみに小学3年生である。

えげつない程の知略戦。相手を2手3手先に張った罠に追い落とし、嵌まった方はそれを躱しながら相手を罠に追い込む。勝つ為にあらん限りの先を読み、頭の中は相手を背中からどつく事でいっぱいである。隠しディバインシューターで背後を襲い、更にそれを囮に相手の頭上を取ったなのはも見事なら、それを受けた後に背後から斬りかかりながら、更に相手が躱した場合の事を考えてフォトンランサーを置いていたフェイトも天晴と言う他ない。

この一連の戦闘はめまぐるしく有利不利が入れ替わり、しかもそれが”外野の実況解説”や”当人たちのモノローグ”などで水を差されない所が素晴らしい。全ては絵と、デバイスの機能宣言だけで綴られ、その静謐さと”余計なカットを挟まない”ストイックな描写は、まるで観る者が戦闘空域に迷い込んだかのような錯覚をもたらす。

そしてこのエピソードは勿論劇場版にもあり、やっている事も概ねTV版と同じなのだがカット割りの変更により肝心な所をスポイルする事となった。美麗な作画でスケールアップされて尚、その部分が「TV版に及ばない」と思う所以を次に書こうと思う。

全力全開劇場版

フォトンランサーを発射するフェイト
ビルを駆け上がりくるりと後ろを取るなのは
後ろからディバインシューター
ディバインシューターを切り落としなのはに迫るフェイト
鍔迫り合い
フェイトの背後から隠しディバインシューターを発射
背後からの攻撃を察知し目の前のなのはを叩き落とし
ニヒルにディバインシューターを躱すフェイト
なのはの落ちた先を見つめる
……やっただろうか
やってなかった

お気づきだろうか。2手先の読み合いは劇場版には無いのである。隠しディバインシューターが見破られたなのはには次の手はなく、フェイトもその場その場の攻撃に対処しているだけである。

仮想海上都市で繰り広げられる空中戦は波立つ飛沫と吹き飛ぶ瓦礫が画面を彩る派手さ満載のスペクタクルだが、劇中で”知恵と戦術はフル回転中”と言う割には、彼女達の戦術はTV版より遥かに劣化している。

また、カットの”受け”がTV版と劇場版では違い、TV版では”初撃のディバインシューターを叩き落としている間になのはに先に次弾を装填されてしまった”という僅かな焦りを、フェイトの顔から背後へと回り込んでなのはを捉えるカットひとつで表現していたが、劇場版でなのはがフェイトのフォトンランサーを避けつつビルを駆け上がりそのままフェイトの後ろに回り込む場面では、丹念に描いた前フリのカットを”受けずに”遠くから光の軌跡を描き、その時のフェイトの”有利不利”をスポイルした。

時間を割る事、割らない事

バトルも佳境に差し掛かり、フェイトは虎の子の魔法で一気に勝負を決めようとする。その圧倒的な火力を耐え切り、平然と倍返しをして勝利を物にするなのはさんの鬼っぷりに見惚れるシーンがやってくる訳だが、ここでもTV版と劇場版ではそのディレクションに大きな違いがある。まずは劇場版。

なのはに着弾するカット(2、5、7、12枚目)が全て別アングルである事と、その際にビルが壊れて行くカットがインサートされる事に注目

以上が劇場版のフォトンランサー・ファランクスシフトの一部始終である。一方TV版の方ではというと。

なのはに着弾するカット(4、6、8枚目)は全て同じポジションから撮られ、周りに建造物も無いので物が壊れるカットが入る事もない。

このように慎ましやかなカット数しか割いていない。絵の情報量からして劇場版の方が桁違いに多く、広い画面を彩るエフェクトに吹き飛ぶビル等、その火力を丹念に描いている事から、こうして静止画で並べて見ると劇場版の方が”凄そう”に見える事は承知している。が、実際に動画で観ると”これは助からん……”と思うのは「TV版」の方である。

その理由は「カットを割ってしまう事で時間が分からなくなってしまう」事にある。例えば主役が大口径のビームを撃つカットが別アングルで立て続けに3つ続いたとして、それを「ビームを3発撃った」と解釈する人は稀だろう。それは「発射した瞬間を違う角度から3回映したのだ」と分かる筈である。アングルが変わると言う事は「連続した時間である事を保証しない」と言う意味だ。

劇場版のファランクスは、なのはに着弾した後に画面が”壊れるビル”等に切り替わるが、それはなのはに着弾した後に壊れているのか、それともほぼ同時に起きた事を”改めて別の角度から描いたのか”という判断をあやふやにさせ、着弾シーン自体がその都度別のアングルから描かれる事も相まって「トータルでどの位の時間、あの攻撃に晒されていたのか」というセンテンスの回答をぼかしてしまうのである。

それに対してTV版は、なのはの着弾シーンを常に同じポジションから撮る事で「なのはが攻撃に晒されている時間」を誤解の生じさせないレベルで担保している。だからこそ、爆煙が晴れたその先にリボンでまとめられたツインテールが映った瞬間の驚きが際立つのだ。

序盤の戦闘シーンも終盤の制圧シーンも、派手さでは劇場版の圧勝だがスリリングさではTV版の方が遥かに優れていた。あのヒリヒリした感じを残したままスケールアップした映像にしてくれなかった事が、劇場版を残念に思った理由なのである。

まとめ

以上大量に画像を使って持論を述べてきたが、これはあくまで「海上決戦シーン」の絵コンテについての比較検証であり、「劇場版のストーリーはどうだったのか」とか「プレシアの過去を丹念に描いた効果はどうよ」とか、そう言った事に関しては完全に考慮の外である。トータルで「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st.」がいけてたかどうか、という事に関しては現在全く興味がないのだ。

勿論、劇場版を作るにあたり、テレビ版と違うラインを選択するのは有りである。戦術よりスペクタクルを優先しただけと言われればそこで話は終了であり、いやぁ、あの戦闘シーンは迫力満点だったなぁ、という感想を持つ人が居ても何の不思議も非難もないのだが、いやいや、でもTV版の方もそれはそれで凄かったのだぞと、今だからこそ改めて言っておきたいと思ったのだ。

これだけ繰り返し観ても、毎度毎度同じ所で「おぉ……」と驚く程の強いコンテが、あそこには確かにあったと思うのである。