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「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案について

作成年月日
2010年12月11日 16:18

もういい、と思った。もう好きにしてくれ、と。真面目な議論も公平な検証もしたくない。今、何が出来るか、なんて事も考えたくない。これは政治の話ではなくプライベートな事だから。街中で顔に唾を吐きかけられた時に感じるであろう感情。そこで「どうすればこんな出来事を社会から無くせるのだろうか」「こういう目に合わない為にどういった自衛策を取るべきだろうか」なんて事は考えられない。

「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案についての話である。表現の自由が侵害される恐れがあるとか、漫画業界の発展が阻害されるとか、或いは石原都知事が差別発言をしたとか、そんな事もどうでもいい。この条例が改正された後の事を憂いている訳ではない。ただ、くやしいのだ。

自分が生涯かけて取り組んで来た物を何のデータも取らず、何の評価システムも考えず、ただその時の気分で「青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく妨げるおそれがある」と断定された事に、その物言いを何の前置きも、間違いかも知れないというエクスキューズもなしに使われた事が、堪らなく堪らなく悔しいのである。

「おそれがある」ってんならどんな本でも料理でもそれが原因で「死ぬおそれ」はあるよ。そこに突出した相関があれば是正する必要もあるだろう。けれどどこをどう攫っても漫画と「健全でない判断能力」との相関は認められない。有る訳がない。漫画はそんなに「強くない」のだ。だからこそストーリーを練り、コマを割り、絵と台詞を工夫し、あらゆる技術を総動員して、しかしそれでもやっと何某かの感動や、幾ばくかの楽しみを与えるに到る。与えるというか、読む者がそれを見出す事が出来る。それくらい儚い物なのだ。東京都は漫画家を魔法使いか何かだと思っているのかも知れないが、鍋に塩をドカドカ入れてとても食べられない料理を作るのとは訳が違う。そんな簡単に人間を変えられると思っているのならさっさと都で「素晴らしい漫画」を発行して都の青少年に配って「健全な青少年」を作ればいい。

そんな事、出来ないだろう?

水は低い方に流れるから?それとも数が多いから?そうじゃない。そんな事出来ないって事は向こうも端から承知なのだ。だから漫画を正当に評価する事も、本気で援助する事もしてこなかった。「取るに足らない物」だから放っておいたのだ。なのに「青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく妨げるおそれ」は有ると言う。こちらとしては「おじいちゃん、何を言ってるの?」と聞き返したいくらいだ。ある日いきなり「よく分からんし調べる気も無いがもやしは有害なのでスーパーで他の野菜と一緒に売らないように」と言われたもやし農家の気持ちを想像して貰えれば良い。

世の中には「風紀」と言うものが有る。街中を皆が裸で歩いて廻る事を近代社会は許していない。また子供から猥褻図画を遠ざけておく事は、手続きを簡略化するメリットもある。エロの萌芽もない子供に街中で「あれ何、これ何?」と聞かれてそれに逐一答えたとしても、きっと子供はちんぷんかんぷんである。そこの不毛なやりとりを皆が繰り返すよりは、画一的に遠ざけて、その問答をやりたい家庭だけで独自にそういう会話を、任意のタイミングで出来る様にした方が楽でもある。

性器の描写のある・なしだけで足りないのであればゾーニングをもっと細かくしても良い。性交する相手の年齢毎に分けたって構わない。それは「仕組み」や「工夫」の話であって、どちらも検討に値する事だ。けれどそれはそれが有害だからというお題目を唱えなくても出来るのだ。子供に自動車運転免許を与えない理由として「自動車が有害だから」という言質は聞いた事が無い。何かを悪者にしなくても社会のしくみを整備、制限する事は出来るのである。

過去に米の生産量を調整するために「減反政策」なるものが行われた。制度が当時の生産量にフィットしなくなり、需要以上の供給を抑える為に法を改め、転作補助金を出したのである。その際に「米が有害だから」と言った阿呆はいない。単に都合と都合を折り合わせる折衝であり、そこに負担やどうにもならないダメージを負う者が居たとしても「生産物に不当な言いがかりを付けられ、公然と誇りを傷つけられた者はいなかった」筈である。

片や漫画の方はと言えば、いきなり「児童ポルノの温床」「健全な発達を阻害する」という言われようだ。何故こんな言われ方をするのかと言えば、悪いものを制限するのに補償を宛がう必要はないからだ。「これはこっちの都合で困るので制限させて下さい。その分落ちた売り上げは幾ばくかの補償をさせて戴きます」と、これが通常の手続きである。これが「有害なもの」ならばそんな遠慮はいらない。この結果読者のニーズを満たせず、売り上げが落ちたとしても、行政は気にしない。だって良い事をしたのだから。

結局俺がこの件で一番怒っているのはここなのだ。漫画は、漫画描きは「勝手に『有害』なレッテルを貼って、何の議論も補償もなく、その誇りを傷つけて好きに扱っても構わない程度の」モノだと言われてるのである。またダブルスタンダードだ。青少年に重大な影響を与える大変なものだと思ってるなら真剣に扱え。どう扱っても構わない程度のモノだと思ってるなら放っておけ。と、俺は言いたいのだ。

社会の風紀を、流通の仕組みを整備する為なら話し合いをしましょう。データもないのに割を食わせようと言うのなら補償を考えて下さい。表現の自由も漫画界の発展もニの次でいいから、「人の商売を何の裏づけもなく気分で『有害』だと貶める」ような真似をするな、と、これが俺の正直な気持ちなのだ。

勿論、そこは重要じゃないという人達も大勢居る事は知っている。条例としての妥当性、出版に対する行政の恣意的な介入の危険性、さらに他の裾野まで影響が及ぶ事を危惧する声、皆色々な立場でこの条例改正案に反対している事も、その中の誰かにとっては今書いた事が「足を引っ張る」事も承知している。そもそも性を売り物にする行為自体に反対している人達にとっては前提の部分で糾弾されてしかるべき事だろう。

けれど、この気持ちを書き残さずに日々の生活を送るなんて事は出来そうも無い。こういう理由で反対してくれともこの事を考えてくれとも言わない。皆好きにしたらいい。これはただ、腹を立てている理由を腹を立てたまま書き殴っただけの物でしかない。