pixivというwebサイトがある。サイトの説明から引用するとpixiv(ピクシブ)は、イラストの投稿・閲覧が楽しめる「イラストコミュニティサービス」です。
と書いてある。自作イラストをアップロードし、それを他人(要会員登録)が閲覧し、点数を付けたり、お気に入りとして登録したり、というサイトである。一昔前までは自分で同人誌などを作って然るべき即売会に持ち込むか、もう少し最近なら自分でhtmlを勉強してホームページを作るかして実現していた「自分の描いた絵を人に見てもらう」という行為が、実に手軽に出来てしまうサービスだ。
会員登録数は40万を超え今尚増加中という事だが、このコミュニティサービスが知らしめた「この国にはこんなに漫画やイラストを描きたがっている人間や、鑑賞したがっている人間がいる」という事にまず驚く。イラストサイトのリンク集を見た時も、実際にコミケに行った時もここまでの衝撃は無かった。一昔前までは漫画やアニメの絵を描いているような人間はマイノリティであるが故に表立って交流出来ず、同好の士を見つける事も出来ないままいつまでも一人で悶々と絵を描いている様な有様だったのだ。それがこのpixivの登場で一気に状況が変わった。完全にとは行かないが、個人的な欲求で描かれたイラストの結構な割合を、人の目に触れられる場所に引き摺りだしたのである。
これによって何が起きたかというと、まずは物凄い幸福感が孤独な描き手達にもたらされた。先に描いた通り、少し前までは自分の描いた絵を不特定多数に観て貰うには物凄い労力が必要だったのである。それが会員登録をしてボタンを押すだけで理論的には40万人に観て貰える可能性が手に入るのである。40万という数字は、2006年の発行部数データで言えば漫画雑誌の「週刊モーニング」(43.7万部)と「週刊ビッグコミックスピリッツ」(39.4万部)の間である。この雑誌に載る為にどれだけの時間と研鑽が必要か想像して貰えると良い。それがものの2分で手に入る。
アップした自分のイラストが人の目に触れる度に(つまり誰かがサムネイルをクリックしてイラストを閲覧する度に)”閲覧数”という数字が増えていく。誰かが自分の絵に興味を持ってくれたという事実が、数字が一つ増える度に積み重なっていく。この時の幸福感というのは恐らく孤独な絵描き人生を長く歩んできた人間ほど大きい。自信が無くて人前に出せなかった人間、地理的要因で即売会に行けない人間、そういう人間にとって自分の絵が人に観られているという”褒賞”がどれ位甘美な物かという事は、絵を描く事を趣味とした事がない人間には説明し切れそうも無い。さらにその自分の絵に誰かが”得点”を付けて評価してくれたり(10点満点)、”お気に入り”として登録してくれよう物なら天にも昇る心地であろう。
幸運な機会に恵まれず、一度も人に評価されぬまま消えていった絵描きはさぞ多かったと思うが、このpixivの登場でそういう人達はこれから激減するだろう。人の目に晒す気になれさえすれば、そのチャンスは完全に保証されたも同然になったのだ。ところがそれと同等か、もしかするとそれ以上の人間が、このpixivによって絵を描かなくなるのではないか、そういう心配をしてしまうのである。なぜなら殆ど大多数の人間にとって、そこは確実に”自分より遙かに上手い連中”が居て、自分の絵の閲覧数や得点とは桁が二つも三つも違うスコアを叩き出している場所だからである。
テレビやネットの普及によって自分と比較出来る他者の範囲は物凄い速度で広くなり、ほんの200年程昔なら自分が住む地域の極狭い範囲で生きていけたのに、今では世界の半分位の中で自分がどの程度なのかが一発で分かってしまう。野球や空手の腕ならまだやってみないと分からないかも知れないが、絵になるともう、本当に一瞬で判断出来る。万が一判断出来なくてもそれは閲覧者が教えてくれる。「君より上手い奴は沢山いる」という事を、残酷なまでにはっきりと教えてくれるのである。
自分の力量を客観視出来る機会はそうそうあるものではない。これは自身の成長にとってまたとないチャンスである。冷静に自分の程度を認識し、そこからどうすればいいかを試行錯誤していくきっかけになるだろう。けれどもそれは本当に辛い作業である。漫画やアニメが好きで絵を描き始めたような時期には何より「思い上がり」というエッセンスが大切だ。「上手く描けた!(←描けてない)」「やべぇ、超イケてる(←イケてない)」後になって振り返れば「一体何を見てたんだオレ……」と失笑してしまうような時期も、それは努力を継続させ、絵を描き続ける事が出来る様になる為に必要なステップである。初めから欠点ばかり指摘されるようなピアノ教室に誰が通い続けられるだろう。その道を志すのならいつまでも盲目ではいられないのだが、その道を志す決心にはその盲目の時期がなければ辿り着けないのである。
既に充分な力量を備えている人間、あるいはその事を知る機会がこれまで無かった人間にとってpixivは間違いなく福音である。打ちのめされてもなお向上心を失わない人間や、俺の様にもう後戻りも出来ない人間にとっても有用なサービスである事は間違いない。しかし、盲目であるが故に描き続けられた人、まだ盲目でいていい筈の人にとって、このpixivが突きつける現実は情け容赦なく苛烈である。
その程度でやめる位なら元々素質がなかったと一蹴されるかも知れないが、その中に描き続けていればいずれ傑作をモノにする人間がいないとは言えないし、例えどの道ダメなんだとしても夢見る幸福な時間の長さは本人の覚悟の量に反比例して持っていて良い筈である。これが全くの杞憂だったのなら、ただのおせっかいで済むのだが、もしそうでなかったらと思うと心配になる。選別や二極化がこのサービスによって加速してしまったら、その結果取り損ねてしまう果実は本人にとってとても大きいと思うから。
やばい、と思ったらそんな所には居なくても良いです。挫ける前に撤退して、目と耳を塞いで下さい。現実と向き合う事は否応無くか、或いは自分がそう望んだ時に訪れるべきで、それまでは夢を見ていて良いんだよ、と、俺は思うのです。
だらだら書いて取りとめもなくなってしまったが、「やまなしなひび−Diary SIDE−」というサイトの「日本人は「ゲームが上手くなりたい」と思っていないのでは?」という記事にその事を上手く表している一文があるので、それを引用させてもらって、この記事を結ぼうと思う。
Wiiで『シレン3』が出た頃だから今年の6月くらいでしょうか。僕が敬愛する伊集院光氏がラジオで『シレン3』のことを語っていて、「前作を好きすぎた自分からすると別に要らないんだけど、今のニーズに合わせて追加された要素があるのは仕方ないんだろうなぁ」と挙げていた要素に“ムービー”と“オンラインによるランキングシステム”がありました。
これ、意外だったんですよ。僕は『シレン3』をやっていないんで何となくの情報なんですが、どうやら「何階まで潜ったか」というランキングをオンラインで集計して発表してくれる新要素があったみたいなんですよね。伊集院さんはこれが好きじゃなかった、と。
「俺は日本で一番『シレン』が上手いつもりだったんだけど、ランキングにされてしまうと自分が実は大したことがなかったことが分かってしまう」
伊集院さんはゲームのオンライン機能についてはかなり肯定的な人だと思っていたんですけど―――どっちかというと「友達同士との協力プレイや競い合い」が好きで、「自分がどれくらいの実力なのか」が分かるランキングシステムはあまり好きじゃなかったんだと。