本当なら第一報が入った時点で書くべきだったのだが、なんやかんやと色々多忙だったので今まで書き損ねてしまった。上手く行けば世紀の大発見というか、人類の歴史を後から振り返った時に「あれが大転換点だった」と述懐されるかもしれない位のニュースなのだが、”対テロ特措法”だの”守屋元事務次官の接待沙汰”だのがニュース番組を連日賑わせているので、どうもそれに見合った取り上げられ方が為されていない。なのでこんな場末のサイトだが、あえて大声で言おう。
凄いぞ京都大学再生医学研究所!
言わずと知れたヒト人工多能性幹細胞(iPS細胞)の樹立に成功というニュースである。再生医療というジャンルについては随分前に臓器移植の漫画を描いた時に当たった資料で知った分野だが、完全死を待たずに恣意的な判定によって”脳死”と判断し回復の可能性を他者の利益の為に摘み取る臓器移植という行為に対する決定的な切り札として、その発展をこっそり願っていたのである。ところが、一番期待された胚性幹細胞が受精卵を破壊して取り出すという俺的には倫理的に完全にアウトな方式でしか取り出せない有様で、それじゃあグローバルスタンダードになって貰う訳には行かないぞ、と落胆してたりしていたのである。子供になって大人になって老人になって最後に寿命を終える。それを望まずに別の目的で命を作ったり奪ったりする事は、末端の当事者の間では緊急避難という事で黙認出来ても、それを国家や科学者が推進する様な事態は勘弁して貰いたいからだ。
これまでの最先端医療は多かれ少なかれこの緊急避難のバージョン違いで、先の臓器移植や人口臓器の開発など、他に打つ手が無いのでこれを選ぶしかない、という有様だった。自然治癒力を当てに出来ないケースでは身体に重篤な欠陥が生じた場合、とにかく何とか別の物を取り付けて死ぬのを回避するしかなかったのである。本来あるべき形には出来ないが、とりあえず当面これで凌げる、という医療である。命に関わらない所でも歯の詰め物やバイパス手術等、外科医療の殆どが緊急避難のコンセプトで構築されている。それくらい、人間の身体は損なわれやすく、損なわれた物を回復するのは容易ではない、という事なのだろう。胚性幹細胞を使ったとしてもそれは”他人”の細胞なので、結局は在り物を替わりに使うという所からは抜け出せなかったのである。
しかし、今回発表された研究成果はこれまで人類が発展させてきた医療技術とは根本から違う。本人の細胞を使って本人の物である体細胞や組織を作れるようになるかも知れないのである。どこら辺までが実現可能な領域なのか専門外の俺にはちょっと分からないのだが、体の一部に欠陥があった時、悪くなった時に、「じゃあ新しく作ってそれと取り替えましょう」という事が可能になるかも知れないのである。薬で進行を抑えたり、機械を埋め込んだり、他人の器官を繋いだりするのではなく、新しく作り直すのである。機能だけでなく身体的にも完全に回復する可能性が見えてきたなんて凄くない?
この技術の恩恵を俺が受ける事は多分無いだろうが、娘が大人になる頃にはもしかしたら臨床レベルでの使用が可能になっているかも知れない。そこに待っているのは何千年もの間、毎年何万人もの人達が望んで来た世界の筈だ。食べ物が無くて死ぬ人や銃で撃たれたり爆弾を落とされて死ぬ人には関係ない話かも知れないが、そこを何とかするのはまた別の話である。治す事が出来ない病気や先天的な機能不全に負けない世界への扉に手をかけた今回の発表に対し、心から賛辞を送る。
本当に有難う。どうかこれからも頑張って下さい。