「誰?コレ」という突っ込みは置いておいて、今更ながら「シムーン」について語りたいと思う。激しくネタバレしそうな感じなので未見の人は気を付けて貰いたいと思うのだが、読んで貰わない事には観る気も起きないと思うのでそこが難しい。やばいと思った箇所は目を細めてやり過ごして貰いたい。
この「シムーン」というアニメ、放映当時は他の作品と時間帯が被っていた為「まぁどうせ百合流行りに乗っかった下らんアニメだろう」とバッサリ切っていたのだが、本編を観ていないのに番宣の「SIMOUN 〜電波DEリ・マージョン〜」というネットラジオがあまりに面白くて、いつか機会があれば観てもいいかな、と格上げされた作品である。少し前にレンタルビデオのGEOが値下げして旧作1本 80円になったのでまとめて借りて来たのだが、いやぁ参った。
桁違いの傑作である。
総勢12人のヒロイン達をきっちり描き分け、それぞれのキャラクターに1クール位なら軽く主人公を任せられるだけのバックボーンと見せ場を持たせつつも全体の物語を2クールというコンパクトな長さに収め、なのに終わってみれば物凄い高度なテーマをきっちり消化している。
作画のレベルは普通よりちょっと上というくらいだが、演出の独特さ(奇矯さではない)と作画監督の頑張りによりカット毎の絵はどれも正しく、ただ自動的に上がってくるフィルムよりもより作品に寄り添った絵作りがなされている。今時パロディでしかお目にかかれないような「野太いタッチ」の主線なども、使い所の正しさと描き手の愛情がヌラヌラと光っていて面白い。背景美術は小林七郎で最初は質感が出まくったCGメカや、デコラティブなキャラクターに対して不釣合いかと思ったが、観進めていくとそうではない事に気付く。ゴテゴテした前景とあっさりした背景が上手い事バランスを取っていて観ていて疲れない。これが塗りこむタイプの背景だと、若干つらいだろうと思った。
音響監督の辻谷耕史も粘り強い仕事をしている。声優あがり(辻谷耕史はまだ現役だが)の音響監督に対して俺はちょっとした偏見があるのだが、絶妙のキャスティングとギリギリまで切らないBGMの使い方がこの作品の寄与した功績はとても大きい。しかし何と言っても特筆すべきはストーリーと脚本である。
まず、ドミヌーラね。次にネヴィリル。勿論アーエルやリモネも外せないし、マミーナとロードレアモンの絡みもこの作品には欠かせない。パライエッタ、カイム、アルティも脇役ながらドラマチックな心理描写を見せ、フロエやモリナスも一筋縄ではいかない。ユンに到っては途中参加で出番らしい出番もなくどうなる事かと思っていたのに後半怒涛の追い上げで永久に記憶に残る事となった。何の話かというと、「とにかくキャラクターの人間性の幅が広い」のである。
主役のネヴィリルは引き篭もりでちょっと後ろ向きなヒロインだが、ここぞという所で惚れ惚れするようなリーダーシップを見せる。下手に描くと神経質で自己愛が強いが故に他人との関わりに消極的なキャラクターで終わりそうな所を、炎の中のパル宣言、空を舞うシムーンに立ち戦場を見渡す神々しさ、さらにダブルスタンダードにまみれた戦争行為の中で、誰よりも早く、誰よりも高くその矛盾の向こうに手を伸ばす真っ直ぐさを描き、彼女がコールテンペストの中で一番頼りになる人間である事が疑いようもなく描き出される。
もう1人の主役のアーエルも図抜けたイノセンスと動物的な発言で空気の読めない天然キャラに堕してしまいそうな所を、天才的な洞察力と怖いほどの公平さを持たせてただ「純粋」という便利な単語で片付けられない程立ったキャラクターに昇華しているし、目的の為には手段を選ばなさそうなドミヌーラがリモネの前ではナチュラルな振る舞いになり、なおかつ仲間の事どころか全人類の心配までしてくれる程慈愛に満ちた人間だったとはキャラクター表を見ただけでは誰も想像出来なかっただろう。しかもこれらは途中で宗旨替えしたわけでも何でもなく最初から一貫性を持って描かれている。この作品には「ただ意地悪なだけ」のキャラや「ただ頭が弱いだけ」のキャラは居らず、人間の行動原理がどれだけ多くのフェイズで構成されているか、人間が自身の肉体の中にどれだけ多くの素質を同居させ、統合出来るのかを教えてくれる。たった2クールで12人以上のキャラクターにふくよかな人間性を与えたこの脚本は、コストパフォーマンスにおいて他に較べる物が無い。
キャラクターの豊富な引き出しを叩き台にし、物語は一貫して「曖昧さの心地よさ」を描き続ける。キャラクター達は「男にも女にもなれる=まだどちらかに決めなくても良い」という巫女の特権を持ち、国家は彼女達に「戦争だから仕方ない」という理由で「兵士でもあり、巫女でもある」立場を要求する。だれもが物事を曖昧なままにする事で、多くの物(選択肢、可能性、航空兵力)を手に入れている。大事な事を決定した瞬間の喪失感は第2話で絶望的な嗚咽を以って描かれるが、しかし彼女達はそこに向かって一歩ずつ進んでいく。ひとりひとりが抱える問題の答えを別々のやり方で探し、自分を規定する勇気を一つずつ手にしていく。
豊富な恋愛模様を織り交ぜつつ骨太なSFまでこなしながら、この「喪失する勇気」をこんなにも清清しく描けるなんて驚きである。北村薫の「スキップ」は事が起こって喪失したものの大きさに打ちひしがれ、その中で手にしたものを受け入れるまでの物語だが、「シムーン」は自ら「事が起こる」場所へ歩いていく物語である。実際彼女達が無くしたものは心情的には洒落にならない位多いのだが、観終わった後「それで本当にいいのか」と思ったりはしないだろう。彼女達が考えに考えた過程と、そこに到る勇気を手にした過程がしっかり描かれているので、それぞれの結末に等しく拍手を贈りたくなる筈である。
キャラクターデザインや百合風味に敬遠してしまう人(俺だ)も多いと思うが、考える事の大切さと未来を手放す勇気を描き切った稀有な作品として、必見である。