unlimited blue text archive

ジェニーはティーン☆ロボット(カートゥーンアニメの文法)

作成年月日
2007年10月10日 10:43

スポンジ・ボブ」目当てで加入したニコロデオンチャンネルで運命の出会い。その名は「ジェニーはティーン☆ロボット(原題:MY LIFE AS A TEENAGE ROBOT)」。手塚治虫にあの世で会えたら「どうして鉄腕アトムを女の子にしなかったんだ」と小一時間説教をしたくなる(ウランちゃんはカウントしない)位に萌えまくり。

この作品は要するに宇宙人や怪獣から地球を守るロボットが学校に行きたがったりボーイフレンドを欲しがったり、生みの親の博士に型番でなく名前で呼んで貰いたがったりするアニメなのだが、公式サイトの絵を観てもらえば分かる通り、もう日本ではこんな作品は作れない。何故なら今日本で女の子のロボットを描くとほぼ100%の確率で”メイド属性”が付与されてしまい。ご主人様にご奉仕したり、出来なかったりという所で話が落ち着いてしまうからである。話の方を何とかクリア出来ても今の絵柄やレイアウトではどうしても話がウェットになってしまうだろう。ロボットの悲哀は何度も描かれてきたがこの「ジェニー」の様に微笑ましい(=洒落で済む)物は目にした記憶が無い。型落ちの電卓が捨てられるのを目の当たりにして意地になって自身のアップグレードを繰り返す姿はとてもコミカルに描かれているのだが、その本当の悲哀に一瞬思い至る時、健気なジェニーに恐ろしい程萌えるのである。そう、「萌え」とは与えられる物ではなく発掘するものだった筈だ。

正直これまでカートゥーンアニメというジャンルは、あまりにシンボリック過ぎるキャラクターデザインが 苦手で敬遠していたのだが、観始めてみるとそのデザインの強さに感心させられる事しきりである。右の画像は今我が家で高評価を得ている3作品の主人公だが(今更「パワパフ」?とか言わない)耐性の無い人間には「キモい」デザインだろう。全く持って俺も同様の感想を持っていたのだが超ロングでも鑑賞に耐えるシルエットのキャラクターは絵コンテの作法すら変えてしまう。実写や日本アニメで普通の人間をロングで収めた場合は何かこう、叙情的というか、感傷的な気分が自然と付与されがちだが、カートゥーンアニメでやられた場合は笑いどころである場合が多い。奇矯なデザインのキャラクターが画面の中に放置された絵だけで「面白み」が滲み出て来るのである。観た事も無い様なカットの繋ぎやカメラワークを駆使した独特な映像文法は、それ自体が外国語の様で観ていて面白い。

ディズニー辺りから始まってその後アメリカはそのまんま。日本の方は高密度な作画と映画的な演出を獲得し”ジャパニメーション”と呼ばれる物に進化したのだと思っていたが、行く先が違っただけで向こうもきっちり進化し続けていた。バルキリーの空戦シーンやガンバスターの戦闘シーンは世界のどこに出しても受けが狙える一級品だと思うが、「スポンジ・ボブ」の作画も1カット1カットがアイディア溢れる一級品である。

正直こればっかり見ていたのではやはり物足りないのだが、国産アニメの似たようなキャラデザインに食傷気味の時はとても良い刺激になる。違う文法でもこんなに豊かな土壌が形成されているのである。まだやって無い事、やれる事はいっぱいあるのだ。