unlimited blue text archive

絶対防衛線(「School Days」最終話放送によせて)

作成年月日
2007年09月29日 05:14

話題騒然の「School Days」最終話を視聴。俺なんでこんなにむきになってんの。作品的には別にどうって事無かった。ゲームに無いアニメ独自のエンディングを考えたスタッフは偉いと思うが、そのエンディング自体の是非はここでは問わない事にしよう。興味深いというか、気になるのはこれがAT-xと試写会で放映された後のアニメファンの反応。あれだけ最終回の放送が中止された事に憤慨していたのが一転「こんなの地上波で放送出来る訳無い、テレビ局Good job」という流れが見受けられる事。

「この程度でグロいとか言ってる奴なんなのwww」という書き込みがあれば、それに対して「世間一般では十分グロいんだよ、テメェが平気かどうかは問題じゃねぇんだ」という反論がなされ、「スクールデイズ最終話はグロいか否か」から「世間一般がグロく感じる以上地上波で規制するのは当然。誰が見るか分からないんだからもうちょっと弁えようぜ」という論説が結構な数で見受けられた。世間一般ってどこで調べるの、とか、何パーセント以上がグロいと思ったら”世間一般”と言っていいの?とかそういう根源的な部分で検証不可能な命題なのだが、そこには目を瞑って、前提として「世間(世論)は『グロいのは規制しなきゃダメ』と考えている」とする。まぁ実際その勢力がパワーを持っているのは事実だ。

しかしそこで世間一般を基準に考えてしまって本当に良いのだろうか。それはつまり「世間一般がロボット物のアニメを暴力的で戦争を美化している残酷なコンテンツ」と判断したらそれに従う用意がある、という事である。地上波は誰が観るか分からないから自粛するべきと考えているのであれば、次に18歳以上だろうが金を払ってみるOVAだろうが、こんなもんは作ってはいけない、と言われた時にどうやってこの砦を守る気なのだ。「18歳以上なら絶対に悪影響は受けません」と証明する事が出来る?「18歳以上ならこの程度で気分が悪くなったりしません」と断言出来る?「18歳以上の人間が自分の意思で金を払って観たのだから、その結果気分が悪くなろうが現実とフィクションの区別がつかなくなって殺人を犯そうが、本人の責任なので放っておいて下さい。」という言い分が通るだろうか。通るか通らないかは麻薬の服用や飲酒運転が禁止されている事からも明らかである。これらの案件において本人の”大丈夫”は信用されない。大丈夫だろうがそうでなかろうがこれらは”危険度”が高いので禁止されている。

麻薬の服用や飲酒運転の危険性は科学的に説明出来るので規制はもっともである。それらが脳や身体にどういう影響を与え、その結果どう行動に反映されるかは論理的にも、データ的にも納得出来る説明があるわけだ。だからこそ、これらの規制について異を唱える人は少ないし居たとしても相手にされない。一方「アニメやゲームの悪影響」という案件については科学的な仮定も信頼できる実験データも提出されていない。俺は全くの妄言と切り捨てているが100歩譲って「グレーゾーン」という事にしてもいい。「確証も証拠もない物を規制するのはおかしい」という事が根幹にある訳である。拠って「こんな物を誰彼構わず見せてはいけない」という意見に対して不安を感じるのだ。「誰彼構わず見せてはいけない物」と認めてしまうという事は、その有害性を認めたという事になるのではないか?誰かに対しては無害だが、誰かにとっては有害。その立ち位置でいいの?と思うのだ。

「悪影響」の問題ではなく、単に「グロくて気分が悪くなる」という話なら、冒頭に注意書きを書いておけば十分だろう。実際NATIONAL GEOGRAPHIC CHANNELでも、番組によってそういうアナウンスが冒頭に流れる。途中から観始めた場合そのアナウンスに抑止力は無いのだが、それは別に問題になっていない。「子供が見るかもしれない地上波でこんなもんを流してはいけない」という意見もあったが、深夜のテレビでそこまで遠慮する必要はないだろう。深夜にこんなアニメを観てしまう事より、子供がそんな時間まで起きてて、しかも自由にテレビを観られる状態にされている事の方が問題である。何よりそれを観てショックを受けようがトラウマになろうが、そんなもん生きてりゃ普通に遭遇する。学校に行く途中に腸ぶちまけたネコの死体を見る事だってある。その時”ネコの死体が道路に置いてあったから家の子がショックを受けちゃったじゃないの”と市の衛生課や保健所に文句を言う必要は無いのである。そのショックは親や周りの大人がちゃんと子供から信頼されていれば取り除けるし、そうして適切なフォローがされた後には一つ多い視点から世界を見られるようになるのだから。

「放送されなくて良かった」という意見の中にはこれら「こんなものは放送してはいけない」というタイプとは別に「こんなものが放送されたらまた叩かれるだけだ」というタイプが見られた。視聴者に対する作品自体の影響ではなく、戦略的な損得で「放映中止」を考えている訳だが、それは確かに現実的な判断である。残酷な描写のあるアニメは否定派がまっさきに攻撃してくる弱点になる。劣勢の中でわざわざ相手に攻撃させる糸口を自分達で提供するのはまずいんじゃないの、という事は全くその通りだと思うので、これは意見の違いではなく戦術の違いである。だから、そこでの妥協は仕方ないとも思うのだ。俺自身も「あ、これは(放送しても何の問題も無いんだけど)放送出来ないよね」と思った位である。

けれど「こんなものを地上波で放送してはダメだ」という意見に対しては、「こんなものはダメ」という立ち位置は「どんなもんでもダメに出来る」道へと続いているかも知れないのだという事を、もう一度考えて欲しいのである。別に地上波から全てのアニメが撤退して、全部スカパーに移っても俺は構わないのだが、それでこの話は終わったりしない。舞台が変わるだけでやっぱり「アニメやゲームの悪影響」との戦いは続く。戦略的撤退をしようが、一時的に妥協しようがそれは構わないけれど、絶対に曲げてはいけない主張というのはあるのではないか。「程度」で影響の有無を量るのであれば、それはもう勝ち目の無い事は明白だろう。「程度」を決めるのは向こうなのだ。