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ミヨリの森(監督としての山本二三)

作成年月日
2007年08月26日 05:02

フジテレビで放映された「ミヨリの森」をスキップしながら視聴。辛かった……。実はこうなるんじゃないかと思ってたけど僅か数パーセントではあるがひょっとしたら、と思ってたのも事実である。監督は山本二三。「未来少年コナン」から始まって「天空の城ラピュタ」「火垂るの墓」「もののけ姫」「ファンタジックチルドレン」、そして「時をかける少女」等の錚々たるビッグタイトルの美術監督を勤めた人物である。

この絵は先頃発売された「時をかける少女 ARTBOOK 山本二三と絵映舎の世界」という本の表紙である。「一枚の繪」の中で触れた急な坂道を望遠で真正面から抜いた構図と夏の空気を存分に湛えた色使いと筆使いの絵とはこれの事であり、山本二三というのはつまり、俺が今一番惚れ込んでいる美術監督である。その山本二三が美術監督ではなく「監督」をすると言うのである。甚だしく不安ではあるが観ないわけにはいかない。そして最初に書いた通り、その不安は的中したのである。

酷かった……。設計通りに仕上がったのがこれだとしたら、もう致命的に絵コンテがダメである。絵とアニメーションの違いは何かと言えば時間軸があるかないかという点だと思うのだが、その時間軸に沿ったコントロールが酷すぎる。カット割りや構図は殆どが意味不明で「どうしてそこを分けちゃうの」とか、「その前に1カット必要だよね?」と常に突っ込まなくてはならず、カットの中も動作が一斉に始まって一斉に終わったり、かと思ったら不思議な間が空いたり、必要な間が無かったりと、「作打ち」をせずに原画が好き勝手に描いたのかと思うような出来である。「演出」という役職に二人分の名前が載っていたのだが、この人達は一体全体何をしていたのだろうか。

「演出」という作業や、そのポジションに居る人間の存在はアニメーションでは曖昧で、どこからどこまでが演出の功績なのかという判断は難しい。ストーリーは脚本家が書き、最終的な演技付けはアニメーターの手によってなされる。演出の仕事はすべてフィルムの手前で消えてしまい、後には結果だけが残るので彼等の存在を意識する事は少ないのだが、この作品を観れば「演出」というのがどんな仕事で何をしているのか一発で分かるだろう。こうならないように手を尽くすのが「演出」の仕事なのだ。「PERFECT BLUE」で名を馳せた今敏も初監督作品を手がける時に松尾衡(後の「ローゼンメイデン」や「RED GARDEN」の監督)に補佐を頼んだ時のくだりを「clappa:3年ぶりの邂逅 変わらぬ信頼 今 敏監督×松尾 衡監督」という対談の中で

うん、絵描きではあったからね。アニメーションと漫画の違いと言うのかな。 私は絵から類推できることは分かるのだけど、アニメーションは絵と時間軸(原画のタイミングや編集、音響のことなど)でできていて、リアルタイムに関する部分は、どうしても絵からは類推できないんです。時間軸をどう捉えていけばいいのかについては、松尾さんにかなり教えてもらいました。
松尾
通常だと一番最初の上がりは僕のところに来て、酷い絵だったりすると、どうしようかなって絵描きと相談するんです。でも『ジョジョ』では、今さんに最初の上がりが行って、駄目な絵は全部直されてから、僕のところに上がりがくる。だから僕の方では、コレだと撮影できない、これはもう何コマか足しといたほうがいい、この原画だとちょっと足りないはず、といったテクニカルなチェックをすれば良いだけだったので、自分としてはすごく楽でした。

と、振り返っているが非常に理性的な判断だと思われる。よく分からない事は分かる人に手伝ってもらえばいいのだ。それをやろうとして配された演出2名だったのかも知れないが、結果的に全く機能していない事の責任は、やはり監督が負わなければならないだろう。(裏事情が詳らかになれば制作のフジテレビと日本アニメーションにも結構な責任が有りそうな気もしているのだが、それは単なる邪推である)

別に初監督作品がこの有様だったからと言って山本二三の絵に対する憧憬と尊敬はいささかも薄れないのだが、それでもこの人のキャリアと、総制作費2億円、制作期間3年という触れ込みを考えると「もったいないなぁ」と思わずには居られない。