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そして最後に例外を(闘争本能第5段)

作成年月日
2005年06月25日 23:20

人間は争いを好まない。本質的にそのように進化した筈なのに、仲間と手を取り合うことで、逆に戦いに至る道を容易にしてしまう。一人でやれないような戦闘なら集団でもやるべきではない。数や道具を恃んだ上での決断は、きっと本来の望みとは違う。そう考えてはみるものの、その範疇に入りきらない人達もやはり居る。

自分がフランスでマイムの教室に通っていた時の話になる。当時安ホテルに長期滞在し、週六日うどん屋で働きながら中休みの時間にマイムの教室に通ってレッスンを受ける生活を送っていた。

その日店には当時の自分(20歳)と変わらないくらいの日本人青年がいて、お酒を飲みながら店長に何か愚痴をこぼしていた。後で聞くと、「フランスの外人部隊に入ろうと思って来たんだけど、(面接だか試験だかで)落ちたんだそうだ」と言われた。彼は徴兵されたわけでも、前後不覚に酔っ払ったところを外泊許可証と偽られて契約書にサインした訳でもなく、純粋に自分の意思で海を越えて傭兵になりに来た訳だ。そして夢破れて酒を飲んで怒っていたのである。

自分には彼の気持ちが分からず「なんでまたわざわざ自分から傭兵になりたいと思うんでしょうね?」と尋ねると、店長はしばらく考えた後「君はなんでダンスを勉強してるの」と問い返した。「(ダンスとは違うのだが)えーっと……なんでしょう、好きだからじゃないですかね」と答えると「(彼も)おんなじだよ」と言われた。その瞬間「あぁ。」と、とても素直に腑に落ちた感覚は、今でも鮮明に思い出せる。他にもこちらは現役の、フランス外人部隊に身を置く人(日本人)が店に来た事もあった。まだ自衛隊が海外に派遣される前、公式には実戦を経験しようと思ったらそんな風によその国の軍隊に入るしか方法が無かった頃の話だ。彼らは国内で自分にその適正があると判断するチャンスも無く、ただ焦がれてこの地に来た事になる。

彼らは普通の人よりも余程シビアにリスクを下げる事を考えているだろうし、また逆に、リスクが無ければ生きていけないのかもしれない。リスクはただの経過であって、ただ目的とする物と切っても切れない関係にあるだけの物なのかもしれない。自身の命を賭けて、海を越えてまで戦いの中に身を置こうとする彼らに届くロジックを自分は持ち合わせてはいないが、彼らが例外であると信じている。例外だったからこそ、彼らは海を越え、狭き門をくぐらざるを得なかったのだから。

今はまだ海を越えず、戦いの中に身を置いていない人に届くと信じて、もう一度最初の言葉を繰り返してこのシリーズを終わりにしたいと思う。

大多数の人間には闘争本能などない。ある筈がない。 人間は、争いを好まない。