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活路

作成年月日
2006年08月10日 23:41

数年前ちょっと碁を覚えてみたいなぁ、と思った事があった。少年ジャンプで連載していた「ヒカルの碁」の影響である。碁のルールなぞ欠片も知らずまた作中でも大して系統立てて説明していないにも関わらず、主人公が幽霊の後ろ盾を失くした後自力で実力を付けて行く辺りがとても面白く、ルールが分からなくてこれなら、分かったらさぞ面白いのではないかと思ったからである。

こういう時はゲームだろうと考え、「THE 囲碁」というSIMPLE2000シリーズの安いソフトを買ってみたが、やってもやっても戦略性が見えない。戦略性が見えないというか何をしたらいいのかが分からない。早々にこのソフトはお蔵入りとなり、囲碁を覚えるという野望もあっと言う間に潰えた。

しかし今月からスカパーの「キッズステーション」チャンネルで「ヒカルの碁」のアニメ放送が始まったせいでちょっと囲碁熱が再燃しつつある。女房もなんとなくルールを把握して来たところで試しにオセロを使って囲碁を打ってみた。そうするとあやふやな知識しか無い者同士でもそこそこ頭を使った熱戦が繰り広げられてしまったのである。何かが見えた気がしてその後もう一度件のソフトを立ち上げてコンピュータと対戦してみたが、こちらは相変わらず何が起きてるか分からないという感じで、早々に電源を切ってしまった。

もしかして今ならまともな勝負になるんじゃねぇかという淡い期待は無惨に打ち砕かれたのだが「どうしてこんなに訳が判らないのか」という理由は分かった気がした。それは囲碁特有の「先読みが出来る者同士が戦うという事が前提になっている」というゲーム性のせいだった様だ。石の「活き・死に」と言うのが「どうせこの先ここに打っても、こう来てこう来てこうなるから、結局取られるでしょう?」という数手先の予定によって決定されている事に馴染めなかったのである。なるほど、まともな打ち手同士ならやってみるまでも無い。そんな所を見逃す筈がないからそこに打っても無駄、そこはもう相手の「地」という事の様なのだが、これが初心者には納得行かないのだ。先なんて読めないから。

素人同士ではそういうブレーキが働かないので可能性があればとことん置く。普通に対応されれば結局取られてしまうのだが、そこまでやって初めて「あぁ、結局ダメだったのか」と納得も行くのである。コンピュータはその辺ちゃんと分かっているので相手をしてくれない。どうしてそこに打たないのだろう?と思う所には打ってくれないのでいつまで経っても戦略性が見えなかったのだ。おそらく上級者というか普通に囲碁を打てる人間と打ってもやはりこの霞がかかった様な感覚が生じるだろう。

気が向いた時に女房と打って行くのが手っ取り早く碁を覚えられる道筋な気がする。