「宇宙人はいるだろうか?」この問いに対しては過去自分は「そりゃいるだろうよ、これだけ星がいっぱい有るんだから、2本足で歩いて頭が1つで手が2本かどうかは分からないが、何がしかの知的生命体はいるだろう」と考えていた。そいつらが宇宙船に乗って地球に来るかどうかはまた別の話として。
しかしその回答は、ちょっと大雑把過ぎたかな、と最近では考えている。
そもそも生態系、進化(突然変異)、遺伝子、繁殖、生存競争、自然淘汰というファクターは、他の環境下でも必ず発生するという保障が無い事を見落としていたからだ。
地球の生き物で高度(大型で活動範囲が広い)なものは、概ね有性生殖で遺伝子により自己の特性を次の世代に伝え、その中で生存に有利なものが淘汰圧をくぐり抜けて繁栄する。結果多種多様な生物が生まれ、有限な環境の中でテリトリーを増やしたり、食べられたりして(生物自体は生態系の頂点を目指しているわけではないのに)結果的に生存競争が生じる。
しかし、遺伝子も突然変異も他の星で必ず生物に必要か、発生するかと言えば、どうなんだろう。「自己の複製をつくる能力がある」というのが生物の定義の一つのようだが、それが地球の生き物に共通なのは、「増える連中だから増えた」ということであって、他の星でもこの定義が通用するとは限らない。我々は我々のローカルルールしか知らない。
繁殖する必要が無いかもしれない。進化を促すファクターも無いかもしれない。競争が発生しない環境かもしれない。競争が発生したとしても、それが「知能」程度で戦えるトーナメントである保証は無い。
人間が「知能」によって、自身が脆弱な肉体であるにも関わらず、他の生物の生殺与奪権をも手に入れる事になったのは、この星でも珍しいケースだろうし、これが長く続くかどうかも分からない。
地球の歴史が終わった時に振り返ってみれば、「知能で勝負した連中もいたけど、やっぱり長続きしなかったなぁ」という事になってるのかもしれない。他の星では「戦は数だよ、兄貴」や、「戦ってなに?」みたいな事になってるかもしれない。
なので最近は「生き物はそりゃまぁいるだろう。しかし知的となるとどうなんだろうなぁ、どっかにはいるかもしれないけど、その連中と同じ時代に生きて出会える事は……厳しい気もするなぁ。」と思っている。