子供が生まれても世間の言う「親」というものにクラスチェンジするわけではない。そういう事は望まない。相手に要求してはいけない。それはわが家では自然に認められ、また言葉によって確認された事柄だ。それでも親になってみて初めて判る事も有る。
よく「赤子の手をひねるよりも容易い」などと言われるが、それはとんでもない誤解で、私たち夫婦が授かった娘を見て思ったのは
「赤子の手なんて怖くて捻れないよ!」
という事である。同様に「親の顔が見たい」という言い回しも我が家では「親の顔が見える」と言い換えられる。これは新旧ともに、使うと己が短慮である事を明かすようなものなので、冗談以上の意味合いでは使われない。
どちらもたいして革新的な発見ではないが、程度が低くてもこの程度のユーモアは最低限確保しておかなくてはな、というのが我が家で私たちを親たらしめている物の一つではある。