先月、テレビアニメの「ドラえもん」が全面リニューアルした。それまで「ドラえもん」を観ていなかった人、昔は観ていたけどいつの間にか卒業した人も、このセンセーショナルなニュースを聞いて怖いもの見たさにチャンネルを合わせた人も多いのではないだろうか。我が家もその口で、とりあえず1回目の放映くらいは録画してどんな有様になったのか確かめてみようという事になったのだが、コレがとんでもない。「ドラえもんってこんなに面白い話だったのか」と愕然とした。
ドラえもんの声は可愛い系にぐっとシフトし、世話焼きロボットからマスコットへと、キャラの立ち位置すら変えてしまった。これは結果としてそうなったのではなく、脚本でもドラえもんの口調がフランクになっている事から、計算されたキャスティングで有る事が窺える。
ドラえもんの保護者的役割が減じた事に呼応して、のび太の性格描写もより人間的なものに変わった様に思う。以前は特別なエピソード以外では、「ダメ」なところばかりがクローズアップされ、さながら「ダメ製造装置」のような描かれ方をしていたと思うのだが、それはおそらく「ドラえもんが居なければ何も出来ないのび太」というシチュエーションが消える時=ドラえもんが帰る時、という暗黙の物語設計があったからではないかと思う。
のび太がドラえもんに頼らなくなったら、ドラえもんの使命も終わり、彼は未来へと帰っていく。そういうラストに着地するために、それまでのび太は自立するわけにはいかない、という縛りが存在していたのではないだろうか。しかし、この新シリーズではそもそもドラえもんに使命があるかどうかは分からない。
本来の設定ではドラえもんは「のび太の子孫が送ってよこした」はずだったのに、2話でのび太が「僕だけ結婚できなかったらどうしよう」と心配しているのだ。(ドラえもんが自身の事をのび太に隠している、という設定も成り立つが)もしドラえもんにのび太を更正させるという使命が無ければ、この物語は「のび太はダメでなければならない」という縛りから開放される。
実際に現在まで放映されている話数の中でのび太は、だらしないところもあるが、素直に反省する心と柔軟な発想を持つ「主人公にふさわしい人物」として描かれている。はっきり言えば、好感を持てる子供なのだ。しずかちゃんの人間性もより確かな方向性を持ち、のび太との関係性が立て続けに強調される事により、ただ居るだけのヒロイン像から脱却した。
まったくの個人的な評価になるが、このリニューアルは現在までのところ、完全に成功しているように見える。また好き嫌いは別にして、この作品の計算された演出は、他の作品に見習って欲しいくらいのレベルである事は間違いない。豊富な資産(ソフト的にも金銭的にも)が有るとはいえ、こんなに外堀を埋めて制作に当たっている作品に出会えた事を嬉しく思う。