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終わりの詩はじまりの詩(第2段)

作成年月日
2006年05月08日 13:06

駅に降り立ち、改札の方向さえ忘れている自分に驚きもしたが、そこにあるのは確かに10年間自分が見続けた光景だった。

あの時何人もの人を傷つけた。その状況を呼び込んだ当時の自分を凄まじく嫌悪し、罪悪感に苛まれた。一部の例外を除いて知人との交流を軒並み絶った。自分がとても人前に出せる代物ではないと判断したからだ。贖罪の機会も放棄して過去の自分を蔑みつつ、過ちは繰り返さないようにこれからはちゃんとするしかない。これからは気をつけよう。これからは頑張ろう。自暴自棄な気分からここまで回復するのに相当の時間を費やした。

そうは言っても自分のした事は消せないし、大事な出来事は記憶からも消せない(稀に大事であるが故に消える場合もあるが)。前を向くために、罪悪感を少しでも軽くする為に記憶は印象と結末だけを残して当時の感覚をどんどんあやふやな物にする。辛い記憶は、時が経てば経つほど、純度の高い、けれどもディテールの少ない澱の様になる。

結果、今の自分があやふやな地盤の上に立つ事になった。当時の自分を弾劾する気分は常にあるのに、その当時の記憶のディテールが失われていくのである。この「嫌悪感とあやふやさ」が自分の時間の連続性を失わせた。

過去の自分と今の自分が連続した同じ人間である事を実感出来なくなった為、なんだか良く知らない人間を操縦しているような感覚になるのだと判断した。取り戻すべきなのはディテールだと結論した。また罪悪感に襲われて立ち行かなく可能性もあるにはあったが、当時の記憶を鮮明に掘り起こし、どういう自分から今の自分に繋がっているのかを確認するしか、失ったものを取り返す方法を思いつかなかったのである。

懐かしい店と初めて見る店の間を抜け、徒歩2分のアパートに向かった。10年暮らしたアパートである。ここに行けば「彼」に会えるはずだと考えていたのである。通り慣れた小道を曲がり、生垣の向こうに懐かしい建物の姿を認めた。

続く